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「太平記」楠出張天王寺の事付隅田高橋並宇都宮の事(その3)

しかるあひだ和泉・河内の早馬はやむま敷並しきなみを打つて、楠木すでに京都へ攻め上る由告げければ、洛中の騒動不斜。武士東西に馳せ散りて貴賎上下あわつる事きはまりなし。斯かりければ両六波羅りやうろくはらには畿内近国の勢如雲霞の馳せ集まつて、楠木今や攻め上ると待ちけれども、敢へてその義もなければ、聞くにも不似、楠木小勢にてぞあるらん、こなたより押し寄せて打ち散らせとて、隅田すだ・高橋を両六波羅の軍奉行いくさぶぎやうとして、四十八箇所しじふはちかしよかがり、並びに在京人ざいきやうにん、畿内近国の勢を合はせて、天王寺てんわうじへ被指向。その勢都合つがふ五千余騎よき、同じき二十日京都を立つて、尼崎・神崎かんざき柱松はしらもとの辺に陣を取りて、遠篝とほかがりを焚いてその夜を遅しと待ち明かす。楠木これを聞いて、二千余騎を三手に分け、宗との勢をば住吉・天王寺てんわうじに隠して、わづかに三百騎ばかりを渡部の橋のみんなみに控へさせ、大篝おほかがり二三箇所に焚かせて相向あひむかへり。これはわざと敵に橋を渡させて、水の深みに追ひはめ、雌雄を一時に決せんが為となり。




やがて和泉・河内の早馬がひっきりなしに、楠木(楠木正成)が京都へ攻め上ると知らせたので、洛中の騒動は並々ではありませんでした。武士が東西に馳せ散り貴賎上下はあわて騒ぎました。こうして両六波羅には畿内近国の勢が雲霞の如く馳せ集まり、楠木(正成)の攻め上るのを今か今かと待ちましたが、まったくそのような兆しはなく、聞くのと異なり、楠木は小勢に違いない、こちらより押し寄せて打ち散らせと、隅田(隅田通治まさはる)・高橋(高橋宗康むねやす)を両六波羅の軍奉行として、四十八箇所の篝火、並びに在京人、畿内近国の勢を合わせて、天王寺(現大阪市天王寺区にある四天王寺)に差し向けました。その勢都合五千余騎、同じ五月二十日に京都を立って、尼崎(現兵庫県尼崎市)・神崎(現兵庫県尼崎市)・柱松(柱本。現大阪府高槻市)の辺に陣を取って、遠篝を焚いてその夜を遅しと待ち明かしました。楠木(正成)はこれを聞いて、二千余騎を三手に分け、主だった勢を住吉(現大阪市住吉区にある住吉大社)・天王寺(四天王寺)に隠して、わずかに三百騎ばかりを渡部橋(かつて現大阪市中央区天満橋あたりにあった橋)の南に控えさせ、大篝を二三箇所に焚かせて対峙しました。これはわざと敵に橋を渡らせて、水の深みに追い遣り、雌雄を一時に決するためでした。


続く


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by santalab | 2015-11-07 16:00 | 太平記 | Comments(0)

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