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「太平記」楠出張天王寺の事付隅田高橋並宇都宮の事(その4)

さるほどに明くれば五月二十一日に、六波羅の勢五千余騎、所々の陣を一所に合はせ、渡部の橋まで打ち臨んで、川向かひに控へたる敵の勢を見渡せば、わづかに二三百騎には不過、あまつさへ痩せたる馬に縄手綱なはたづな懸けたるていの武者どもなり。隅田すだ・高橋これを見て、さればこそ和泉・河内の勢の分際ぶんざい、さこそあらめと思ふに合はせて、はかばかしき敵は一人なかりけり。この奴ばら一々に召し捕つて六条河原ろくでうかはらに斬り懸けて、六波羅殿の御感にあづからんと云ふままに、隅田・高橋人交ぜもせず橋よりしもを一文字にぞ渡しける。五千余騎のつはものどもこれを見て、我先にと馬を進めて、あるひは橋のうへを歩ませあるひは川瀬かはせを渡して、向かひの岸に懸け上がる。楠木が勢これを見て、遠矢とほや少々射捨てて、一戦もせず天王寺てんわうじの方へ引き退く。




夜が明けて五月二十一日に、六波羅の勢五千余騎は、所々の陣を一所に合わせ、渡部橋まで打ち臨んで、川向かいに控え敵の勢を見渡せば、わずかに二三百騎には過ぎず、その上痩せ馬に縄手綱を懸けただけの武者ばかりでした。隅田(隅田通治まさはる)・高橋(高橋宗康むねやす)はこれを見て、和泉・河内の勢の分際([数])は、大したことはないと思いました、強そうな敵は一人もいないようでした。この奴らを一々に召し捕って六条河原のに斬り獄門に懸けて、六波羅殿の御感に与かろうと、隅田(通治)・高橋(宗康)は人も連れずに渡辺橋の下を一文字に渡りました。五千余騎の兵はこれを見て、我先にと馬を進めて、ある者は橋の上を歩ませある者は川瀬を渡して、向こう岸に駆け上がりました。楠木(楠木正成)の勢はこれを見ると、遠矢を少々射捨てて、一戦もせず天王寺(現大阪市天王寺区にある四天王寺)の方へ引き退きました。


続く


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by santalab | 2015-11-09 10:16 | 太平記 | Comments(0)

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