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「太平記」楠出張天王寺の事付隅田高橋並宇都宮の事(その6)

橋近く成りければ、隅田すだ・高橋これを見て、「敵は大勢にてはなかりけるぞ、ここにて不返合大河後ろにあつて悪しかりぬべし。返せやつはものども」と、馬の足を立てなほし立て直し下知げぢしけれども、大勢の引き立てたる事なれば、一かへしも不返、ただ我先にと橋の危ふきをも不云、馳せ集まりける間、人馬ともに被推落て、水に溺るる者不知数、あるひは淵瀬をも不知渡し懸かつて死ぬる者もあり、あるひは岸より馬を馳せたふしてそのまま被討者もあり。ただ馬・物の具を脱ぎ捨てて、逃げ延びんとする者はあれども、返し合はせて戦はんとする者はなかりけり。しかれば五千余騎のつはものども、残り少なに被打成て這ふ這ふ京へぞ上りける。その翌日に何者かたりけん、六条河原ろくでうかはらに高札を立て一首の歌をぞ書きたりける。

渡部の 水いかばかり 早ければ 高橋落ちて 隅田流るらん

京童きやうわらんべくせなれば、この落書らくしよを歌に作りて歌ひ、あるひは語り伝へて笑ひけるあひだ隅田すだ・高橋面目を失ひ、しばらくは出仕を止め、虚病きよびやうしてぞ居たりける。




橋近くになって、隅田(隅田通治まさはる)・高橋(高橋宗康むねやす)はこれを見て、「敵は大勢でないぞ、ここで返し合わせよ大河を後ろにしては不利だ。返せや兵ども」と、馬の足を立て直し立て直し命じましたが、大勢でしたので、一返しも返せず、ただ我先にと橋の危きも構わず、馳せ集まったので、人馬ともに押され落ちて、水に溺れる者は数知れず、ある者は淵瀬とも知らず渡って死ぬ者もあり、ある者は岸で馬を倒してそのまま討たれる者もありました。ただ馬・物の具([武具])を脱ぎ捨てて、逃げ延びようとする者はいましたが、返し合わせて戦おうとする者はいませんでした。こうして五千余騎の兵どもは、残り少なに討たれてやっとのことで京に上りました。その翌日に何者の手によるものか、六条河原に高札を立てて一首の歌が書いてありました。

渡部の川の流れがどれほど速いというのか。高橋は川に落ちて、隅田は流されたというぞ。

京童([京童部]=[京都市中の物見高くて口さがない若者ども])の僻でしたので、この落書を歌に作って歌い、あるいは語り伝えて笑ったので、隅田(通治)・高橋(宗康)は面目を失い、しばらくは出仕を止め、病いだと申して蟄居しました。


続く


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by santalab | 2015-11-10 19:36 | 太平記 | Comments(0)

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