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「太平記」楠出張天王寺の事付隅田高橋並宇都宮の事(その8)

宇都宮辞退の気色きしよくなうして被申けるは、「大軍すでに利を失うて後、小勢にて罷り向かひ候はん事、いかんと存じ候へども、関東くわんとうを罷り出でし始めより、加様かやうの御大事に逢うて命をかろくせん事を存じ候ひき。今の時分、必ずしも合戦の勝負を見るところにては候はねば、一人にて候ふとも、先づ罷り向かうて一合戦仕り、及難儀候はば、重ねて御勢をこそまうし候はめ」と、まことに思ひ定めたるていに見へてぞ帰りける。宇都宮一人武命を含んで大敵に向かはん事、命を可惜に非ざりければ、わざと宿所へも不帰、六波羅よりすぐに、七月十九日じふくにちの午の刻に都を出で、天王寺てんわうじへぞ下りける。東寺辺までは主従わづかに十四五騎がほどと見へしが、洛中にあらゆる所の手の者ども馳せくははりける間、四塚よつづか作道つくりみちにては、五百余騎にぞ成りにける。路次ろしに行き逢ふ者をば、権門勢家けんもんせいけを不云、乗りのりむまを奪ひ人夫にんぶを駆り立てとほりける間、行旅かうりよ往反路わうへんみちを曲げ、閭里りより民屋みんをくとぼそを閉づ。その夜は柱松はしらもとに陣を取りて明くるを待つ。その心ざし一人も生きて帰らんと思ふ者はなかりけり。




宇都宮(宇都宮公綱きんつな)は辞退する気色をまったく見せず申すには、「大軍がすでに敗れた後に、小勢で向かうのも、どうかと思われますが、関東を出る時より、このような大事に命を軽んじる覚悟でございます。これまで、合戦の勝負を見ておりませんので、一人であろうと、まず出で向かい一合戦し、難儀することがございますれば、重ねて勢を願い申しましょう」と、まこと覚悟を決めた様子で帰って行きました。宇都宮(公綱)がただ一人武命を受けて大敵に向かうことなりました、命を惜しむべくもありませんでしたので、わざわざ宿所に帰ることもなく、六波羅よりすぐに、七月十九日午の刻([午前十二時頃])に都を出て、天王寺(現大阪市天王寺区)に下りました。東寺(現京都市南区)あたりまでは主従わずかに十四五騎ほどに見えましたが、洛中よりあらゆる所の手の者どもが馳せ加わり、四塚(現京都市南区四ッ塚)・作道(鳥羽作道。朱雀大路の入口である羅城門より真南に伸びて鳥羽を経由して淀=現京都市伏見区。方面に通じた古代道路)には、五百余騎になりました。路次で行き逢う者は、権門勢家([権勢のある門閥や家柄])と言わず、乗り馬を奪い人夫を駆り立て通ったので、行旅([旅人])は道を変え、閭里([村里])の民屋は門戸を閉じました。その夜は柱松(柱本。現大阪府高槻市)に陣を取り夜が明けるのを待ちました。一人なりとも生きて帰ろうと思う者はいませんでした。


続く


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by santalab | 2015-11-11 08:42 | 太平記 | Comments(0)

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