節会・臨時の祭り、何くれの公事どもを、女房に学ばせて御覧ずれば、太政大臣興じ申し給ひて、ことさら、小さき笏など作らせて数多奉り給へば、上も喜び思す。入道太政大臣の御娘大納言の三位殿と言ふを関白になさる。按察の典侍隆衡の娘・大納言の典侍・中納言典侍・勾当の内侍・弁の内侍・少将の内侍、かやうの人々、皆男の官に当てて、その役を務む。「いとからい事」とて、侘び合へるもをかし。中納言の典侍を権大納言実雄の君になさるるに、「したうづ履く事、いかにも適ふまじ」とて、曹司に下るるに、上もいみじう笑はせ給ふ。弁の内侍、葦の葉に書きて、かの局にさし置かせける。
津の国の 葦の下根の いかなれば 波にしをれて 乱れがほなる
返し、
津の国の 葦の下根の 乱れわび 心も波に うきてふるかな
後深草天皇(第八十九代天皇)は節会([節日=祝の日。などに天皇のもとに群臣を集めて行われた公式 行事])・臨時の祭り([例祭のほかに行われる祭礼。特に、陰暦十一月の下の酉の日に行われた賀茂神社の祭り、陰暦三月の中の午の日に行われた石清水八幡宮の祭り、陰暦六月十五日に行われた祇園八坂神社の祭り])、諸々の公事を、女房に演じさせてご覧になられました、太政大臣(鷹司兼平)は興味を持たれて、ちりわけ、小さな笏など作らせて数多く献上されると、上(後深草天皇)もおよろこびになられました。入道太政大臣(西園寺公経)の娘大納言三位殿(西園寺公子)と申す女房を関白にされました。按察の典侍隆衡(四条隆衡)の娘(四条藤子)・大納言典侍(四条近子)・中納言典侍・勾当内侍・弁内侍(後深草院弁内侍)・少将内侍(後深草院少将内侍。後深草院弁内侍の妹らしい)、以上のような女房たちを、皆男の官にされて、その役を務めさせました。「なんとつらいこと」と申して、嘆くのを楽しんでおられました。中納言典侍を権大納言実雄の君(洞院 実雄)にななさると、「したうづ([沓を履くときに用いる靴下の類])を履くのは、恥ずかしく」と申して、曹司([部屋])に下がってしまいました、上(後深草天皇)もたいそう笑われました。弁内侍(後深草院弁内侍)が、葦の葉に書いて、中納言典侍の局に忍ばせました。
摂津国の葦の下根([下に隠れて見えない根])をどうしてそれほどにいやがるのだ。波に萎れたように泣きじゃくるほどのことではなかろうに。
返し、
摂津国の葦の下根があまりにもつらいので、思わず心が顔に出て涙を流してしまいました。
(続く)