Santa Lab's Blog


「太平記」楠出張天王寺の事付隅田高橋並宇都宮の事(その9)

さるほどに河内かはちの国の住人ぢゆうにん和田孫三郎この由を聞いて、楠木がまへに来たつて云ひけるは、「先日の合戦に負け腹を立て京より宇都宮を向け候ふなる。今宵こよひすでに柱松はしらもとに着いて候ふがその勢わづかに六七百騎には過ぎじと聞こへ候ふ。先に隅田すだ・高橋が五千余騎にて向かつてさふらひしをだに、我らわづかの小勢にて追つ散らして候ひしぞかし。そのうへこの度は御方勝つに乗つて大勢なり。敵は機を失うて小勢なり。宇都宮たとひ武勇の達人なりとも、なにほどの事か候ふべき。今宵こよひ逆寄さかよせにして打ち散らして捨て候はばや」と云ひけるを、楠木しばらく思案して云ひけるは、「合戦の勝負必ずしも大勢小勢おほぜいこぜいに不依、ただ士卒じそつの心ざしを一つにするとせざるとなり。されば『大敵を見てはあざむき、小勢を見てはおそれよ』と申す事これなり。先づ思案するに、先度のいくさに大勢打ち負けて引き退く跡へ、宇都宮一人小勢にて相向あひむかふ心ざし、一人も生きて帰らんと思ふ者よも候はじ。そのうへ宇都宮は坂東一の弓矢取りなり。紀清両党きせいりやうたうつはもの、元より戦場せんぢやうに臨んで命を棄つる事塵芥ぢんがいよりもなほ軽くす。その兵七百余騎心ざしを一つにして戦ひを決せば、当手たうての兵たとひ退く心なくとも、大半は必ず可被討。天下の事まつたくこの度の戦ひに不可依。行くすゑ遥かの合戦に、多からぬ御方初度のいくさに被討なば、後日の戦ひに誰か力を可合。『良将りやうしやうは不戦して勝つ』とまうす事候へば、正成まさしげに於いては、明日わざとこの陣を去つて引き退き、敵に一面目あるやうに思はせ、四五日を経て後、方々はうばうの峯にかがりを焚いて、一蒸ひとむし蒸すほどならば、坂東武者の習ひ、無程気疲れて、『いやいや長居ながゐしては悪しかりなん。一面目ある時いざや引きひきかへさん』と云はぬ者は候はじ。されば『懸くるも引くもをりにこそよれ』とは、加様かやうの事を申すなり。夜すでに暁天げうてんに及べり。敵定めて今は近付くらん。いざさせ給へ」とて、楠木天王寺てんわうじを立ちければ、和田・湯浅ももろともに打ち連れてぞ引きたりける。




やがて河内国の住人和田孫三郎(和田正頼まさより)はこれを聞いて、楠木(楠木正成)の前に来て申すには、「幕府方は先日の合戦に負け腹を立て京より宇都宮(宇都宮公綱きんつな)を差し向けるとのことでございます。今夜のうちにすでに柱松(柱本。現大阪府高槻市)に着いておりますがその勢はわずかに六七百騎には過ぎないと申しております。先に隅田(隅田通治まさはる)・高橋(高橋宗康むねやす)が五千余騎で向かいましたが、我らはわずかの小勢で追い散らしました。その上今度は味方は勝つに乗って大勢です。敵は機を失って小勢です。宇都宮(公綱)がたとえ武勇の達人であろうとも、何事かございましょう。今宵逆寄せして打ち散らして捨てるのはどうでございましょう」と申すのを、楠木(正成)はしばらく思案して申すには、「合戦の勝負は必ずしも大勢小勢に依らず、ただ士卒が心を一つに合わせるかどうかによるもの。しかるに『大敵を見ては欺き、小勢を見ては畏れよ』と申すではないか。まず思案するに、先度の軍に大勢打ち負けて引き退くその後に、宇都宮(公綱)がただ一人小勢で向かうということは、一人も生きて帰ろうと思っておらぬからであろう。その上宇都宮(公綱は坂東一の弓矢取りぞ。紀清両党([宇都宮氏の家中の精鋭として知られた武士団])の兵もまた、元より戦場に臨んでは命を棄てること塵芥よりもなお軽く思うておる。その兵七百余騎が心ざしを一つにして戦い決するならば、当手の兵がたとえ引き退く心はなくとも、大半は必ずや討たれるであろう。天下はこの度の戦いで決まるものではない。行く末遥かの合戦に、決して多くない我が軍が初度の戦で討たれたならば、後日の戦いに誰が力を合わせよう。『良将は戦わずして勝つ』と申すという、この正成の考えはこうだ、明日はわざとこの陣を去って引き退き、敵に一面目あるように思わせ、四五日を経て後、方々の峯に篝火を焚いて、一蒸し蒸し上げれば、坂東武者のこと、たちまち気は萎み、『いやはや長居してはまずかろう。一面目ある間に引き返そう』と言わぬ者はおらぬ。なれば『駆ける退くも折によるもの』」とは、このことを申す言葉ぞ。夜はすでに暁天になろうとしておる。敵はきっと近付いておるであろう。さあここを出るぞ」と申して、楠木(正成)が天王寺を立てば、和田(正頼)・湯浅(湯浅宗藤むねふじ)もろともに打ち連れて兵を引きました。


続く


[PR]
by santalab | 2015-11-12 07:19 | 太平記 | Comments(0)

<< 「増鏡」烟の末々(その25)      「増鏡」烟の末々(その24) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
こんにちは。今日はSan..
by 佐藤綾乃 at 18:44
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧