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「太平記」楠出張天王寺の事付隅田高橋並宇都宮の事(その12)

宇都宮これを見て、敵寄せ来たらば一軍ひといくさして、雌雄を一時に決せんと心ざして、馬の鞍をも不息、よろひ上帯うはおびをも不解待ち懸けたれども、いくさはなうして敵の取りまはいきほひに、勇気疲れ武力ぶりきたゆんで、あはれ引き退かばやと思ふ心着きけり。斯かるところに紀清両党きせいりやうたうともがらも、「我らがわづかの小勢にてこの大敵に当たらん事は、始終いかんと思え候ふ。先日当所たうしよの敵を無事故追ひ落としてさふらひつるを、一面目にして御上洛しやうらく候へかし」と申せば、諸人皆この義に同じ、七月二十七日にじふしちにちの夜半ばかりに宇都宮天王寺てんわうじを引きて上洛すれば、翌日早旦さうたんに楠木やがて入り替はりたり。まことに宇都宮と楠木と相戦あひたたかうて勝負を決せば、両虎二龍りやうこじりゆうの戦ひとして、いづれも死をにすべし。さればかたみにこれを思ひけるにや、一度ひとたびは楠木引いてはかりごとを千里の外に廻らし、一度は宇都宮退いて名を一戦の後に不失。これ皆智謀深く、おもんばかり遠き良将りやうしやうなりしゆゑなりと、誉めぬ人もなかりけり。




宇都宮(宇都宮公綱きんつな)はこれを見て、敵が攻めて来れば一軍して、雌雄を一時に決しようと心に決めて、馬も休めず、鎧の上帯([鎧・腹巻き・胴丸の類の胴先につける帯])をも解かず待ち構えましたが、軍はなく敵の勢に、勇気はしぼみ武力を失って、仕方なく兵を引こうと思うようになりました。ここに紀清両党([宇都宮氏の家中の精鋭として知られた武士団])の輩も、「我らわずかの小勢をもってこの大敵に当たれば、勝敗は知れております。先日当所の敵を追い落としたことを、一面目にして上洛されますよう」と申せば、諸人は皆この義に同じ、七月二十七日の夜半ほどに宇都宮(公綱)は天王寺(現大阪市天王寺区にある四天王寺)を引きて上洛しました、翌日の早旦に楠木(楠木正成)はすぐに入れ替わりました。まこと宇都宮(公綱)と楠木(正成)が戦って勝負を決しておれば、両虎二龍の戦いとなり、いずれも死を遂げていたことでしょう。ならば互いにこれを思い、一度は楠木(正成)が引いて謀略を千里の外に廻らし、一度は宇都宮(公綱)が退いて名を一戦の後に失うことはありませんでした。皆智謀深く、思慮ある良将故のことと、誉めない人はいませんでした。


続く


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by santalab | 2015-11-14 07:44 | 太平記 | Comments(0)

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