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「太平記」頼員の事(その5)

去るほどに、明くれば元徳げんとく元年九月十九日の卯の刻に、軍勢雲霞の如くに六波羅へ馳せ参る。小串こぐし三郎左衛門さゑもんじよう範行のりゆき・山本九郎時綱ときつな、御紋の旗を賜はりて、討つ手の大将をうけたまはつて、六条河原かはらへ打ち出で、三千余騎を二手に分けて、多治見が宿所錦小路高倉にしきのこうぢたかくら土岐とき十郎が宿所、三条堀河ほりかわへ寄せけるが、時綱かくてはいかさま大事の敵を打ち漏らしぬと思ひけるにや、大勢おほぜいをばわざと三条河原に留めて、時綱ただ一騎、中間ちゆうげん二人に長刀なぎなた持たせて、忍びやかに土岐が宿所へ馳せて行き、門前に馬をば乗り捨てて、小門より内へつと入つて、中門の方を見れば、宿直とのゐしける者よと思えて、物の具・太刀・刀、枕に取り散らし、高鼾たかいびき掻きて寝入りたり。むやまの後ろをまはつて、いづくにか匿地くけちのあると見れば、後ろは皆築地ついぢにて、門より外は路もなし。さては心安しと思うて、客殿の奥なる二間をさつと引き開けたれば、土岐十郎只今起き上がりたりと思えて、びんの髪を撫げ揚げて結ひけるが、山本九郎をきつと見て、「心得たり」と云ふままに、立てたる大刀を取り、傍なる障子しやうじを一間蹈み破り、六間むまの客殿へをどり出で、天井てんじやうに大刀を打ち付けじと、払ひ切りにぞ切つたりける。




やがて、夜が明ければ元徳元年(1329)九月十九日の卯の刻([午前六時頃])に、軍勢が雲霞の如く六波羅へ馳せ集まりました。小串三郎左衛門尉範行(小串範行)・山本九郎時綱(山本時綱)は、御紋の旗を賜わり、討っ手の大将を命じられて、六条河原に打ち出て、三千余騎を二手に分けて、多治見(多治見国長くになが)の宿所錦小路高倉、土岐十郎(土岐頼貞よりさだ)の宿所、三条堀川へ寄せました、時綱は大勢では大事の敵を打ち漏らすと思ったのか、大勢をわざと三条河原に留めて、時綱はただ一騎、中間([武士の最下級])二人に長刀を持たせて、忍んで土岐(頼貞)の宿所へ馳せて行き、門前に馬を乗り捨てて、小門より内へさっと入って、中門の方を見れば、宿直している者と思われる者どもが、物の具([武具])・太刀・刀を、枕に取り散らし、高いびきをかいて寝入っていました。廐の後ろを廻って、どこか隠れる所があるかと見れば、後ろは皆築地([土塀])で、門のほかに路もありませんでした。安心して、、客殿の奥の二間をさっと引き開けると、土岐十郎(頼貞)はたった今起きたように見えて、鬢の髪を撫げ揚げて結っていましたが、山本九郎(時綱)を見て、「待っておったぞ」と言うままに、立てた大刀を取り、傍の障子を一間踏み破り、六間の客殿へ躍り出て、天井に太刀を打ち付けまいと、払い切りに太刀を振り回しました。


続く


by santalab | 2015-11-18 06:27 | 太平記

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