Santa Lab's Blog


「太平記」新田義貞謀反の事付天狗催越後勢事(その1)

かかりけるところに、新田太郎義貞よしさだ、去んぬる三月十一日先朝せんてうより綸旨りんしを賜ひたりしかば、千剣破ちはやより虚病きよびやうして本国へ帰り、便宜びんぎの一族たちをひそかに集めて、謀反の計略をぞ被回ける。かかるくはだかありとは不思寄、相摸入道にふだう、舎弟の四郎左近の大夫入道に十万じふまん余騎を差し副へて京都へ上せ、畿内・西国の乱を可静とて、武蔵・上野かうづけ安房あは上総かづさ常陸ひたち下野しもつけ六箇国の勢をぞ被催ける。その兵粮ひやうらうの為にとて、近国の庄園しやうゑんに、臨時の天役てんやくを被懸ける。中にも新田のしやう世良田せらだには、有徳うとくの者多しとて、出雲いづもの介親連ちかつら、黒沼彦四郎ひこしらう入道を使ひにて、「六万ぐわんを五日の内可沙汰」と、堅く下知げぢせられければ、使ひ先づかのところに臨んで、大勢を庄家しやうけに放ち入れて、譴責けんせきする事ほふに過ぎたり。新田義貞これを聞き給ひて、「我がたちの辺を、雑人ざふにんむまひづめに懸けさせつる事こそかへす返すも無念なれ、いかでか乍見可怺」とて数多あまたの人勢を差し向けられて、両使をたちまち生け捕つて、出雲いづもの介をばいましめ置き、黒沼入道をば首を斬つて、同日の暮れほどに世良田せらだの里のうちにぞ被懸たる。




そうこうするところに、新田太郎義貞(新田義貞)は、去る三月十一日先朝(第九十六代後醍醐天皇)より綸旨を賜わり、千剣破(千早城。現大阪府南河内郡千早赤阪村)より病いと偽って本国へ帰り、親密な一族たちを密かに集めて、謀反の計略を立てました。そのような企てがあるとも思いよらず、相摸入道(北条高時たかとき。鎌倉幕府第十四代執権)は、弟の四郎左近大夫入道(北条泰家やすいへ)に十万余騎を差し添えて京都へ上せ、畿内・西国の乱を鎮めようと、武蔵・上野・安房・上総・常陸・下野六箇国の勢を集めました。その兵粮のために、近国の庄園に、臨時の天役([朝廷に大儀・造営があった時など、 臨時に賦課した雑税])をかけました。中でも新田庄世良田(現群馬県太田市)には、有徳の者が多くいると聞いて、出雲介親連(池田親連)、黒沼彦四郎入道(黒沼伴清ともきよ)を使いとして、「六万貫(約225t)を五日以内に差し出せ」と、強く命じたので、使いはまずかの地に赴き、大勢を庄家に放ち、譴責([規則に反した者や信用失墜行為を行った者などに対し、始末書を書かせて提出させ、戒めること])しましたが法に過ぎた行いでした。新田義貞はこれを聞いて、「我が館の辺を、雑人が馬の蹄で駆けるとは、返す返すも無念よ、どうしてだまって見れおられよう」と申して多くの人勢を差し向けて、両使をたちまち生け捕って、出雲介(池田親連)は牢に入れ、黒沼入道(黒沼伴清)の首を斬って、その日の暮れに世良田の里に懸けました。


続く


[PR]
by santalab | 2015-11-18 08:09 | 太平記 | Comments(0)

<< 「増鏡」烟の末々(その29)      「増鏡」烟の末々(その28) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧