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「太平記」南都北嶺行幸の事(その1)

元徳げんとく二年二月四日、行事ぎやうじの弁の別当べつたう万里小路までのこうぢ中納言藤房ふぢふさきやうを召されて、「来月八日東大寺興福寺こうふくじ行幸ぎやうがうあるべし、早く供奉ぐぶともがらに触れおほすべし」と仰せ出だされければ、藤房ふぢふさ古きをたづね、例を考へて、供奉の行装かうさう路次ろし行列かうれつを定めらる。佐々木の備中のかみ廷尉ていゐに成つて橋を渡し、四十八箇所しじふはちかしよかがり甲胄かつちうを帯し、辻々を固む。三公九卿きうけい相従あひしたがひ、百司千官はくしせんくわん列を引く、言語道断の厳儀げんぎなり。




元徳二年(1330)二月四日、後醍醐天皇(第九十六代天皇)は行事の弁別当である、万里小路中納言藤房卿(万里小路藤房)を召されて、「来月八日東大寺(現奈良県奈良市にある寺)興福寺(現奈良県奈良市にある寺)に行幸することにした、早く供奉の者たちにこれを知らせよ」と申されたので、藤房は以前の行幸の様を引いて、前例に習い、供奉の行装([外出の際の服装])、路次の行列順を決めました。佐々木備中守が廷尉([検非違使すけ])rt>ていゐに成つて橋を渡し、四十八箇所の篝火を灯し、甲胄を帯し、辻々を警固しました。三公([太政大臣・左大臣・右大臣])九卿([公卿])が従い、百司千官([官人])が列に連なりました。言葉に尽くせないほどの厳しさでした。


続く


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by santalab | 2015-11-21 08:42 | 太平記 | Comments(0)

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