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「太平記」新田義貞謀反の事付天狗催越後勢事(その9)

路次ろしに両日逗留とうりうあつて、同じき十一日の辰の刻に、武蔵の国小手差原こてさしばらに打ち臨み給ふ。ここにて遥かに源氏の陣を見渡せば、その勢雲霞の如くにて、幾千万騎いくせんまんぎとも可云数を不知。桜田・長崎これを見て、案に相違さうゐやしたりけん、馬を控へて不進得。義貞よしさだ忽ちに入間河いるまがはを打ち渡つて、先づ鬨の声を揚げ、陣を進め、早や矢合はせのかぶらをぞ射させける。平家も鯨波ときのこゑを合はせて、旗を進めて懸かりけり。初めは射手を揃へて散々に矢軍をしけるが、まへ究竟くつきやうの馬の足立ちなり。何れも東国育ちの武士どもなれば、いかでか少しもたまるべき、太刀・長刀なぎなたきつさきを揃へ馬のくつばみを並<べて切つて入る。二百騎・三百騎・千騎・二千騎兵を添へて、相戦あひたたかふ事三十さんじふ余度に成りしかば、義貞の兵三百余騎被討、鎌倉勢五百余騎討ち死にして、日すでに暮れければ、人馬共に疲れたり。軍は明日と約諾して、義貞三里引き退いて、入間河いるまがはに陣を取る。鎌倉勢も三里引き退いて、久米河くめがはに陣をぞ取つたりける。両陣相去るそのあひだを見渡せば三十余町よちやうに足らざりけり。何れも今日の合戦の物語して、人馬の息を継がせ、両陣互ひにかがりを焚いて、明くるを遅と待ちたり。




鎌倉勢は道中で一両日逗留して、同じ元弘げんこう三年(1333)五月十一日の辰の刻([午前八時頃])に、武蔵国小手差原(現埼玉県所沢市)に打ち臨みました。ここで遥かに源氏(新田)の陣を見渡せば、その勢は雲霞の如く、幾千万騎とも言う数を知りませんでした。桜田(北条貞国さだくに=桜田貞国)・長崎(長崎高重たかしげ)はこれを見て、思いと違っていたのか、馬を控えて進みませんでした。義貞(新田義貞)はたちまち入間川を渡って、まず鬨の声を上げ、陣を勧め、早や矢合わせの鏑矢を射させました。平家も鯨波([鬨の声])を合わせて、旗を進めてこれに懸かりました。はじめは射手を揃えて散々に矢軍をしていましたが、前面は究竟の馬が並んでいました。いずも東国育ちの武士どもでしたので、どうしてじっとしていられましょう、太刀・長刀の切っ先を揃え馬の轡を並<べて切って入りました。二百騎・三百騎・千騎・二千騎兵を添えて、戦うこと三十余度になれば、義貞の兵は三百余騎討たれ、鎌倉勢は五百余騎討ち死にして、日はすでに暮れて、人馬ともに疲れていました。軍は明日と約諾して、義貞は三里引き退いて、入間川に陣を取りました。鎌倉勢も三里引き退いて、久米川に陣を取りました。両陣の間を見渡せば三十余町(約3Km)に足りぬほどでした。いずれも今日の合戦について協議し、人馬の息を継がせ、両陣互いに篝火を焚いて、夜が明けるのを遅しと待ちました。


続く


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by santalab | 2015-11-21 09:38 | 太平記 | Comments(0)

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