Santa Lab's Blog


「太平記」笠置囚人死罪流刑の事付藤房卿の事(その1)

笠置かさぎの城被攻落刻、被召捕給ひし人々の事、去年は歳末の計会けいくわいに依つて、暫く差し置きぬ。新玉の年立ちかへぬれば、公家くげ朝拝てうはい武家の沙汰始まりて後、東使工藤次郎左衛門じらうざゑもんじよう二階堂にかいだう信濃の入道行珍ぎやうちん二人ににん上洛しやうらくして、可行死罪人々、可処流刑国々、関東くわんとう評定ひやうぢやうの趣き、六波羅にして被定。山門・南都の諸門跡もんぜき、月卿・雲客うんかく諸衛しよゑ司等つかさとうに至るまで、依罪軽重、禁獄流罪に処すれども、足助あすけの次郎重範しげのりをば六条河原ろくでうかはらに引き出だし、首を可刎と被定。万里小路までのこうぢ大納言宣房卿のぶふさきやうは、子息藤房ふぢふさ季房すゑふさ二人ににん罪科ざいくわに依つて、武家に被召捕、これも如召人にてぞおはしける。よはひすでに七旬にかたぶいて、万乗ばんじようの聖主は遠島ゑんたうに被遷させ給ふべしと聞こゆ。二人の賢息は、死罪にぞ行はれんずらんと思へて、我が身さへまた囚人とらはれびとと成り給へば、ただ今まで命永らへて、かかる憂き事をのみ見聞く事の悲しければと、一方ひとかたならぬ思ひに、一首の歌をぞ被詠ける。

長かれと 何思ひけん 世の中の 憂きを見するは 命なりけり




笠置城(現京都府相楽郡笠置町)が攻め落とされて、召し捕られた人々は、去年は歳末の計会([物事が一時に重なること])により、しばらく差し置かれました。新玉の年立ち返り、公家の朝拝武家の沙汰が始まった後、東使([鎌倉時代に鎌倉幕府から京都にある朝廷や六波羅探題、関東申次などに派遣された使者])の工藤次郎左衛門尉(工藤高景たかかげ)・二階堂信濃入道行珍(二階堂行朝ゆきとも)二人が上洛して、死罪を行うべき人々、流刑に処する国々を、関東評定の意向をもって、六波羅にて定めました。山門・南都の諸門跡、月卿・雲客・諸衛の司にいたるまで、罪の軽重により、禁獄流罪に処しました、足助次郎重範(足助重範)を六条河原に引き出し、首を刎ねるべしと定まりました。万里小路大納言宣房卿(万里小路宣房)は、子息藤房(万里小路藤房)・季房(万里小路季房)二人の>罪科により、武家に召し捕られ、罪人となりました。齢はすでに七旬([七十])に近付き、万乗の聖主(第九十六代後醍醐天皇)は遠島(隠岐)に移されたと聞こえました。二人の賢息(万里小路藤房・季房)は、死罪になるのではないかと思っていましたが、我が身さえまた楚の囚人となって、今まで命永らえて、このような憂き事をのみ見聞くことの悲しさよと、一方ならぬ思いに、一首の歌を詠みました。

何のために今まで命を永らえてきたのだろう。憂き目を見るために生きてきたと思えば悲しいことよ。


続く


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by santalab | 2015-11-21 19:03 | 太平記 | Comments(0)

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