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「太平記」南都北嶺行幸の事(その2)

東大寺とまうすは聖武しやうむ天皇てんわうの御ぐわん閻浮えんぶ第一の盧舎那仏るしやなぶつ、興福寺と申すは淡海公の御願、藤氏とうし尊崇そんそうの大伽藍なれば、代々の聖主も、皆結縁けちえんの御心ざしはおはせども、一人いちじん出で給ふ事容易からざれば、多年臨幸の儀もなし。この御代に至つて、絶えたるを継ぎ、廃れたるを興こして、鳳輦ほうれんを巡らし給ひしかば、衆徒歓喜くわんぎたなごころを合はせ、霊仏威徳ゐとくの光を添ふ。されば春日山の嵐の音も、今日けふよりは万歳ばんぜいを呼ばふかと怪しまれ、北の藤波千代かけて、花咲く春の陰深し。




東大寺と申すのは聖武天皇(第四十五代天皇)の御願で、閻浮([閻浮提]=[人間世界])第一の盧舎那仏が安置されています、興福寺と申すのは淡海公(藤原不比等ふひと)の御願で、藤原氏尊び崇める大伽藍です、代々の聖主も、皆結縁([仏法と縁を結ぶこと])の御心ざしはありましたが、一人([天皇])が御幸になられることは容易いことではありませんでしたので、長年臨幸はありませんでした。後醍醐天皇の御代に至って、絶えた儀式を継ぎ、廃れた行事を興こして、鳳輦([屋根に鳳凰の飾りのある天子の車])が参ると、衆徒([僧])は歓喜して手を合わせ、霊仏は威徳の光を添えました。されば春日山(若草山。現奈良県奈良市)の嵐の音も、今日からは万歳を呼ぶように思われて、北の藤波は千代に重なり、花咲く春の装いは深いものでした。


続く


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by santalab | 2015-11-21 21:06 | 太平記 | Comments(0)

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