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「太平記」主上御没落笠置事(その8)

同じき八日両検断、高橋刑部ぎやうぶ左衛門・糟谷かすや三郎宗秋むねあき、六波羅に参じて、今度被生虜給ひし人々を一人いちにんづつ大名だいみやうに被預。一の宮中務卿なかつかさのきやう親王しんわうをば佐々木の判官はんぐわん時信ときのぶ妙法院めうほうゐん二品にほん親王をば長井左近の大夫将監たいふしやうげん高広たかひろ、源中納言具行ともゆきをば筑後の前司貞知さだとも東南院とうなんゐん僧正をば常陸の前司時朝ときとも万里小路までのこうぢ中納言藤房ふぢふさ六条ろくでうの少将忠顕ただあき二人ににんをば、主上に近侍し奉るべしとて、放召人はなちめしうどの如くにて六波羅にぞ留め置かれける。




同じ十月八日両検断([鎌倉時代中期以降に現れる、幕府訴訟制度の一系統])、高橋刑部左衛門・糟谷三郎宗秋(糟谷宗秋)が、六波羅に参じて、この度生け捕られた人々を一人ずつ大名に預けました。一宮中務卿親王(尊良たかよし宗良むねよし親王)を長井左近大夫将監高広(長井高広)、源中納言具行(北畠具行)を筑後前司貞知、東南院僧正(聖尋しやうじん。鷹司基忠もとただの子)を常陸前司時朝(北条時朝)、万里小路中納言藤房(万里小路藤房)・六条少将忠顕(千種忠顕)二人は、主上(第九十六代後醍醐天皇)に近侍すべしと、放召人([放召]=[鎌倉時代以降の武士に対する刑罰])のようにして六波羅に留め置かれました。


続く


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by santalab | 2015-11-22 09:48 | 太平記 | Comments(0)

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