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「太平記」先帝船上臨幸事(その10)

にはかの事にて御輿なんどもなかりければ、長重ながしげ着たるよろひの上に荒薦あらこもを巻いて、主上を負ひまゐらせ、鳥の飛ぶが如くして舟上ふなのうへへ入れ奉る。長年ながとし近辺きんぺんの在家に人をまはし、「思ひ立つ事あつて舟上に兵粮を上ぐる事あり。我が倉の内にある所の米穀べいこくを、一荷いつか持つて運びたらん者には、銭を五百づつ取らすべし」と触れたりける間、十方より人夫にんぷ五六千人出来しゆつらいして、我劣らじと持ち送る。一日がうちに兵粮五千石運びけり。その後家中けちゆうの財宝悉く人民百姓に与へて、己がたちに火を懸け、その勢百五十騎にて、船上に馳せ参り、皇居くわうきよを警固仕る。長年が一族名和なわの七郎と云ひける者、武勇のはかりごとありければ、白布しらぬの五百たんありけるを旗にこしらへ、松の葉を焼いてけむりふすべ、近国の武士どもの家々の文を書いて、ここの木のもと、かしこの峯にぞ立て置きける。この旗ども峯の嵐に吹かれて、陣々にひるがへりたる様、山中に大勢おほぜい充満したりと見へてをびたたし。




急なことで輿もなく、長重(名和長重)は着ていた鎧の上に荒薦([編み目の荒い薦=むしろ])を巻いて、主上(第九十六代後醍醐天皇)を背負い、まるで鳥が飛ぶように船上山(現鳥取県東伯郡琴浦町)に入れられました。長年は近辺の在家に人を遣って、「思い立つことがあり船上に兵粮を上げなくてはならぬ。我が倉の内にある米穀を、一荷持ち運ぶ者には、銭を五百ずつ取らす」と触れ回ったので、十方より人夫が五六千人やって来て、我劣らじと運びました。一日の内に兵粮五千石(750t)を運び上げました。その後家中の財宝を残らず人民百姓に与えて、己の館に火を懸け、その勢百五十騎で、船上山に馳せ参り、皇居を警固しました。長年の一族に名和七郎と言う者は、武勇の謀略に長けていたので、白布五百端を旗にして、松の葉を焼いて炭にし、近国の武士どもの家々の文を書いて、ここの木の本、かしこの峯に立てました。この旗どもが峯の嵐に吹かれて、陣々に翻る様は、山中に大勢が充満しているように見えました。


続く


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by santalab | 2015-11-22 11:01 | 太平記 | Comments(0)

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