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「太平記」奥州国司顕家卿並新田徳寿丸上洛の事(その2)

かかるところに、主上しゆしやうは吉野へ潜幸せんかうなり義貞よしさだは北国へ打ち出でたりと披露ありければ、いつしかまた人の心替はりて催促に随ふ人多かりけり。顕家あきいへきやう時を得たりと悦びて、廻文くわいぶんを以つて便宜びんぎともがらもよほさるるに、結城ゆふき上野入道道忠だうちゆうを始めとして、伊達・信夫しのぶ・南部・下山六千余騎にて馳せくははる。国司すなはちその勢を合はせて三万余騎、白河の関へ打ち越え給ふに、奥州あうしう五十四郡ごじふしぐんの勢ども、多分馳せ付きて、ほどなく十万じふまん余騎に成りにけり。さらばやがて鎌倉を攻め落として、上洛しやうらくすべしとて、八月十九日白河しらかはの関を立つて、下野しもつけの国へ打ち越え給ふ。




そうこうするところに、主上(第九十六代、南朝初代後醍醐天皇)は吉野へ潜幸され義貞(新田義貞)は北国へ打ち出たと聞こえたので、いつしかまた人は心替わりして催促([催促状]=[武家で、将軍・大名が、諸侯・部下に、軍勢・公役に関して至急遂行すべきことを催促する文書])に従う人が多くいました。顕家卿(北畠顕家)は時を得たとよろこんで、廻文([複数の人に順に回して知らせるようにした手紙や通知])をもって味方に付く者どもを集めると、結城上野入道道忠(結城宗広むねひろ)をはじめとして、 伊達(伊達行朝ゆきとも)・信夫・南部・下山が六千余騎で馳せ加わりました。国司(北畠顕家)はすぐにその勢を合わせて三万余騎で、白河の関(奥州三関の一。現福島県白河市)へ打ち越えると、奥州五十四郡の勢どもの、多くが馳せ加わり、ほどなく十万余騎となりました。ならばたちまち鎌倉を攻め落として、上洛すべきと、八月十九日白河の関を立って、下野国(現栃木県)へ打ち越えました。


続く


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by santalab | 2015-11-25 07:55 | 太平記 | Comments(0)

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