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「太平記」追奥勢跡道々合戦の事(その1)

大将左馬のかみ殿はその頃わづかに十一歳なり。いまだ思慮あるべきほどにてもをはせざりけるが、つくづくとこの評定を聞き給ひて、「そもそもこれは面々の異見とも思へぬ事かな、いくさをするほどにては一方負けぬ事あるべからず。そぞろに怖ぢば軍をせぬ者にてこそあらめ。いやしくも義詮よしあきら東国の管領くわんれいとして、たまたま鎌倉にありながら、敵大勢なればとて、ここにて一軍ひといくさもせざらんは、後難遁れ難くして、敵のあざむかん事もつとも当然たうぜんなり。さればたとひ御方小勢なりとも、敵寄せ来たらば馳せ向かつて戦はんに、敵はずは討ち死すべし。もしまた遁れつべくは、一方打ち破つて、安房・上総の方へも引き退きて、敵のしりへに随つて上洛しやうらくし、宇治・勢多にて前後より攻めたらんに、などか敵を亡ぼさざらん」とはかりこと細やかに義に当たつてのたまひければ、勇将猛卒等しくこの一言に励まされて、「さては討ち死にするより外の事なし」と、一偏いつぺんに思ひ切つて鎌倉中かまくらぢゆうに立て籠もる。その勢一万余騎には過ぎざりけり。




大将左馬頭殿(足利義詮よしあきら。尊氏の嫡男で室町幕府第二代将軍)はその時わずかに十一歳でした。いまだ思慮あるべきほどでもありませんでしたが、始終この評定を聞いて、「そもそもこれは面々の異見([他の人とは違った考え])とも思えぬ、軍をすれば一方が負けぬことはない。恐れをなせば戦などできぬ。いやしくもこの義詮は東国の管領([室町幕府における将軍に次ぐ最高の役職])として、たまたま鎌倉にありながら、敵が大勢だからといって、ここで一軍もしなければ、後難([後世の非難])遁れ難く、敵に非難されても仕方のないことよ。ならばたとえ味方が小勢であろうと、敵が攻め来れば馳せ向かって戦い、敵わずは討ち死すべきである。もしまた遁れる道あらば、一方を打ち破り、安房・上総の方へも引き退き、敵の後を追って上洛し、宇治・勢多(勢田)で前後より攻めたなら、どうして敵を亡ぼさぬことがあろうか」との謀略を事細かに理路整然と申したので、勇将猛卒は等しくこの一言に励まされて、「ならば討ち死にするほかなし」と、一同に覚悟を決めて鎌倉中に立て籠もりました。その勢は一万余騎を過ぎないものでした。


続く


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by santalab | 2015-11-26 08:33 | 太平記 | Comments(0)

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