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「太平記」無礼講の事付玄恵文談の事(その1)

ここに美濃の国の住人、土岐伯耆ときはうきの十郎頼貞よりさだ多治見たぢみ四郎次郎国長くにながと云ふ者あり。共に清和源氏の後胤こういんとして、武勇の聞こへありければ、資朝すけとも卿様々の縁をたづねて、むつび近付かれ、朋友の交はりすでに浅からざりけれども、これほどの一大事を無左右知らせん事、いかんかあるべからんと思はれければ、なほもよくよくその心をうかがひ見ん為に、無礼講ぶれいかうと云ふ事をぞ始められける。その人数にんじゆには、ゐんの大納言師賢もろたか四条しでうの中納言隆資たかすけ洞院とうゐん左衛門さゑもんかみ実世さねよ蔵人くらうど右少弁俊基としもと・伊達の三位房さんみばう遊雅いうが聖護院庁しやうごゐんちやう法眼ほふげん玄基げんき足助あすけの次郎重成しげなり多治見たぢみ四郎次郎国長くにながらなり。




ここに美濃国の住人、土岐伯耆十郎頼貞(土岐頼貞)・多治見四郎次郎国長(多治見国長)という者がいました。ともに清和源氏の後胤([子孫])として、武勇の聞こえがありましたので、資朝卿(日野資朝)は様々の縁を頼って、近付いて親しく付き合うようになりました、朋友の交わりはすでに浅からぬものでしたが、これほどの一大事をむやみに知らせては、どうなることかと思い、なおもよくよくその心を窺い知るために、無礼講というものを始めました。集まる人たちは、尹大納言師賢(尹師賢)・四条中納言隆資(四条隆資)・洞院左衛門督実世(洞院実世)・蔵人右少弁俊基(日野俊基)・伊達三位房遊雅(伊達遊雅)・聖護院庁法眼玄基・足助次郎重成(足助重成)・多治見四郎次郎国長(多治見国長)たちでした。


続く


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by santalab | 2015-11-26 22:19 | 太平記 | Comments(0)

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