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「太平記」追奥勢跡道々合戦の事(その3)

かかりし後は、東国の勢宮方に随ひ付く事雲霞の如し。今は鎌倉に逗留とうりうして、何の用かあるべきとて、国司顕家あきいへきやう以下いげ、正月八日鎌倉を立つて、夜を日に継いで上洛しやうらくし給へば、その勢都合つがふ五十万騎ごじふまんぎ、前後五日路いつかぢ左右四五里を押して通るに、元来無慚無愧むざんむぎえびすどもなれば、路次ろし民屋みんをく追捕つゐふし、神社仏閣を焼き払ふ。総じてこの勢の打ち過ぎける跡、塵を払うて海道二三里が間には、在家の一宇も残らず草木の一本もなかりけり。前陣すでに尾張をはりの熱田に着きければ、摂津の大宮司入道源雄げんゆう、五百余騎にて馳せ付け、同じき日美濃の根尾ねを徳山とこのやまより堀口美濃のかみ貞満さだみつ、千余騎にて馳せくははる。今はこれより京までの道に、誰ありともこの勢をいささかも支へんとする者はあり難しとぞ見へたりける。




この後は、宮方に東国の勢はまるで雲霞の如く従い付きました。今は鎌倉に逗留して、何の益があろうかと、国司顕家卿(北畠顕家)以下、正月八日に鎌倉を立って、夜を日に継いで上洛しました、その勢都合五十万騎、前後五日路左右四五里を押して通ると、元来無慚無愧([悪事を働いても、それを恥じることなく平気でいること])の夷([東国の荒くれ武士])どもでしたので、路次の民屋では追捕([うばい取ること])を働き、神社仏閣を焼き払いました。この勢の打ち過ぎた後は、まるで塵を払ったように東海道二三里の間には、在家の一宇も残らず草木の一本もありませんでした。前陣がすでに尾張の熱田(現愛知県名古屋市熱田区にある熱田神宮)に着けば、摂津大宮司入道源雄(熱田神宮大宮司、摂津親昌ちかまさ)が、五百余騎にて馳せ付け、同じ日美濃の根尾(現岐阜県本巣市根尾)・徳山(現岐阜県揖斐郡)より堀口美濃守貞満(堀口貞満)が、千余騎で馳せ加わりました。今はこれより京までの道に、誰であろうとこの勢をわずかも防ぐ者はないように思われました。


続く


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by santalab | 2015-11-27 19:01 | 太平記 | Comments(0)

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