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「太平記」青野原軍事付嚢沙背水事(その6)

京都には奥勢上洛しやうらくの由、先立つて聞こへけれども、土岐美濃の国にあれば、さりとも一支へは支へんずらんと、憑もしく思はれけるところに、頼遠よしとほ既に青野原おをのがはらの合戦に打ち負けて、行くかた知らずとも聞こへ、または討たれたりとも披露ありければ、洛中の周章しうしやうなのめならず。さらば宇治・勢多の橋を引きてや相待つ。不然ば先づ西国の方へ引き退きて、四国・九州の勢を付けて、かへつて敵をや攻むべきと異議まちまちに分かれて、評定未だ落居せざりけるに、越後ゑちごかみ師泰もろやす且く思案して申されけるは、「いにしへより今に至るまで、都へ敵の寄せ来たる時、宇治・勢多の橋を曳いて戦ふ事度々なり。しかれどもこの河にて敵を支へて、都を落とされずと云ふ事なし。寄する者は広く万国を御方にして威に乗り、防ぐ者はわづかに洛中を管領くわんれいして気を失ふゆゑなり。不吉の例をうて、おほけなく宇治・勢多の橋を引き、大敵を帝都の辺にて相待あひまたんよりは、兵勝の利に付いて急ぎ近江あふみ・美濃の辺に馳せ向かひ、戦ひを王城の外に決せんには如じ」と、勇みその気に顕はれはかりことその理にかなうて申されければ、将軍も師直もろなほも、「この儀しかるべし」とぞ甘心かんしんせられける。




京都では奥州勢が上洛のため攻め上っていると、先立って聞こえていましたが、土岐(土岐頼遠)が美濃国にいたので、少なくとも一支えはするであろうと、頼みに思っていたところに、頼遠はすでに青野原(現岐阜県大垣市)の合戦に打ち負けて、行く方知れずとも聞こえ、また討たれたと申す者もいたので、洛中のあわてぶりは尋常ではありませんでした。ならば宇治(現京都府宇治市)・勢多(現滋賀県大津市瀬田)の橋を引いて待つべきか。それともまずは西国の方へ落ちて、四国・九州の勢を付けて、再び敵(南朝)を攻めるべきかと異議はまちまちに分かれて、評定は定まりませんでした、越後守師泰(高師泰)はしばらく思案して申すには、「古より今に至るまで、都へ敵が寄せ来た時、宇治・勢多の橋を引いて戦うことが度々あった。けれどもこの川で敵を防いで、都が落とされなかったためしはない。寄せる者は広く万国を味方にして威に乗り、防ぐ者はわずかに洛中を管領して気を失うためである。不吉の例に倣って、無謀にも宇治・勢多の橋を引き、大敵を帝都の辺で待つよりも、兵の数に勝っておるのだから急ぎ近江・美濃の辺に馳せ向かい、戦いを王城の外に決するべき」と、意気込み勇んで謀略を道理に沿って申したので、将軍(足利尊氏)も師直(高師直)も、「そうすべき」と甘心([納得すること。 同意すること])しました。


続く


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by santalab | 2015-11-28 21:37 | 太平記 | Comments(0)

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