Santa Lab's Blog


「太平記」青野原軍事付嚢沙背水事(その8)

昔漢の高祖かうそと楚の項羽かうう天下てんがを争ふ事八箇年があひだ戦ふ事まざりけるに、ある時高祖軍に負けて逃ぐる事三十里さんじふり、討ち残されたるつはものを数ふるに三千余騎にも足ざりけり。項羽四十しじふ余万騎よまんぎを以つてこれを追ひけるが、その日すでに暮れぬ。夜明くれば漢の陣へ押し寄せて、高祖を一時に亡ぼさん事隻手せきしゆの内にありとぞ勇みける。ここに高祖の臣に韓信と云ひける兵を大将に成して、陣を取らせけるに、韓信わざと後ろに大河を当てて橋を焼き落とし、舟を打ち破つてぞ棄てたりける。これはとても遁るまじきところを知つて、士卒一引きも引く心なく皆討ち死にせよと、示しさん為のはかりことなり。




昔漢の高祖(劉邦。前漢の初代皇帝)と楚の項羽(秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼした)と天下を争って八箇年の間戦いは続きましたが、ある時高祖が軍に負けて逃げること三十里、討ち残された兵を数えると三千余騎にも足りませんでした。項羽は四十余万騎をもってこれを追いかけるうちに、その日はすでに暮れました。夜明ければ漢の陣へ押し寄せて、高祖を一時に亡ぼすことは間違いないと勇みました([隻手]=[片方の手])。そこで高祖の臣に韓信という兵を大将として、陣を取らせました、韓信はわざと後ろに大河を当てて橋を焼き落とし、舟を壊して棄てました。これはとても遁れることはできないことを知り、士卒は一引きも引く心なく皆討ち死にするほかないと、示すための謀略でした。


続く


[PR]
by santalab | 2015-11-29 07:58 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」青野原軍事付嚢沙背水...      「太平記」青野原軍事付嚢沙背水... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧