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「太平記」青野原軍事付嚢沙背水事(その11)

去るほどに国司の勢十万騎じふまんぎ垂井たるゐ・赤坂・青野原おをのがはらに充満して、東西六里南北三里に陣を張る。夜々のかがりを見渡せば、一天の星計せいと落ちて欄干たるに異ならず。この時越前ゑちぜんの国に、新田義貞よしさだ義助よしすけ北陸道ほくろくだうしたがへて、天をめぐらし地を略するいきほひ専ら盛んなり。奥勢もし黒地くろぢの陣を払はん事難儀ならば、北近江より越前へ打ち越えて、義貞朝臣と一つになり、比叡山にぢ上り、洛中を脚の下に見下ろして南方の官軍くわんぐんてふし合はせ、東西よりこれ攻めば、将軍京都には一日も堪忍かんにんし給はじと思えしを、顕家あきいへきやう、我が大功義貞の忠に成らんずる事をそねんで、北国へも引き合はず、黒地をも破りえず、にはかに士卒を引きて伊勢より吉野へぞまはられける。さてこそ日来は鬼神の如くに聞へし奥勢、黒地をだにも破り得ず、まして後攻ごづめの東国勢京都に着きなば、恐るるに足らざる敵なりとぞ、京勢きやうぜいには思ひ劣されける。




やがて国司(北畠顕家あきいへ)の勢十万騎は、垂井(現岐阜県不破郡垂井町)・赤坂(現岐阜県大垣市)・青野原(現岐阜県大垣市)に充満して、東西六里南北三里に陣を張りました。夜々の篝火を見渡せば、一天の星が落ちて欄干([月や星のあざやかに光るさま])するようでした。この時越前国では、新田義貞・義助(脇屋義助。新田義貞の弟)は、北陸道を平定して、天を回らし([時勢を一変すること。衰えた勢いをとりもどすこと])地を略する([奪い取る])勢いでした。奥州勢が黒地(黒血川=藤古川。現滋賀県米原市と岐阜県不破郡関ケ原町及び大垣市を流れる木曽川水系の河川)の陣を追い払うことに難儀した時には、北近江より越前に越えて、義貞朝臣と一つになり、比叡山に上り、洛中を眼下に見下ろして南方の官軍と牒合(文書により意思疎通を図ること)し、東西よりこれを攻めば、将軍(室町幕府初代将軍、足利尊氏)は京都には一日も堪えずと思われましたが、顕家卿は、我が大功が義貞の忠になることを妬んで、北国と一つにもならず、黒地の軍も破ることはできずに、急ぎ士卒を引いて伊勢より吉野に向かいました。日来は鬼神とも聞こえた奥州勢でしたが、黒地さえ破ることができなかったので、まして後詰め([先陣の後方に待機している軍勢])の東国勢が京都に着けば、恐れるまでもない敵と、京勢は思うようになりました。


続く


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by santalab | 2015-11-29 08:12 | 太平記 | Comments(0)

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