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「太平記」長門探題降参の事(その1)

長門の探題遠江とほたふみかみ時直ときなほ、京都の合戦難儀の由を聞きて、六波羅に力を合はせんと、大船百余艘よさうに取り乗つて、海上を上りけるが、周防すはうの鳴渡にて、京も鎌倉も早や皆源氏の為に被滅て、天下悉く王化に従ひぬと聞こへければ、鳴渡より船を漕ぎ戻して、九州の探題と一所に成らんと、心筑紫つくしへぞ赴きける。赤間が関に着いて、九州のやうを伺ひ聞き給へば、「筑紫つくしの探題英時ひでときも、昨日きのふ早や小弐・大友おほともが為に被亡て、九国二島悉く公家の助けと成りぬ」と云ひければ、一旦催促に依つて、これまで付き従ひたるつはものどもも、いつしかやがて心変はりして、己が様々に落ち行きけるあひだ時直ときなほわづかに五十ごじふ余人に成つて柳浦やなぎがうらの浪に漂泊へうはくす。




長門探題遠江守時直(北条時直)は、京都の合戦が劣勢であることを聞いて、六波羅探題と力を合わせようと、大船百艘余りに取り乗って、海上を上っていましたが、周防鳴渡(現山口県柳井市)で、京も鎌倉もすでに皆源氏に亡ぼされて、天下はすべて王化(後醍醐天皇。第九十六代天皇、南朝初代天皇)に従っていると聞こえたので、北条時直は鳴渡より船を漕ぎ戻して、九州探題(鎮西探題の誤り。この時の鎮西探題は北条英時ひでとき=赤橋英時)と一所になろうと、筑紫へと赴きました。赤間関(現山口県下関市)に着いて、九州の様子を聞くと、「筑紫探題英時(北条英時)は、昨日早くも小弐(小弐貞経さだつね)・大友(大友貞宗さだむね)に討たれて、九国二島([九州・対馬・壱岐])は残らず公家の味方となった」と言ったので、一旦催促に従って、これまで付いていた兵たちは、いつしか心変わりして、思い思いに落ちて行きました、時直はわずか五十人余りとなって柳浦(現福岡県北九州市)の浪の上に漂いました。


続く


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by santalab | 2015-11-30 10:50 | 太平記 | Comments(0)

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