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「太平記」越前牛原地頭自害の事(その1)

淡河あいかは右京うきやうすけ時治ときはるは、京都の合戦の最中、北国の蜂起をしづめん為に越前の国に下つて、大野おほのこほり牛原うしがはらと云ふ所にぞをはしける。幾程無うして、六波羅没落の由聞こへしかば、相順あひしたがひたる国の勢ども、片時へんしの程に落ち失せて、妻子従類さいしじゆうるゐの外は事問ふ人もなかりけり。去るほどに平泉寺の衆徒しゆとをりを得て、かの跡を恩賞にまうし賜はらん為に、自国・他国の軍勢を相語あひかたらひ、七千余騎を率して、五月十二日の白昼はくちうに牛原へ押し寄する。時治敵の勢の雲霞の如くなるを見て、戦ふとも幾程が可怺と思ひければ、二十にじふ余人ありける郎等らうどうに、向かふ敵を防がせて、あたり近き所に僧のましましけるをしやうじて、女房をさなき人までも、皆髪に剃刀を当て、戒を受けさせて、偏へに後生菩提ごしやうぼだいの経営を、泪のうちにぞ被致ける。




淡河右京亮時治(淡河時治。六波羅探題南方、北条時盛ときもりの子)は、京都の合戦の最中、北国の蜂起を鎮めるために越前の国に下って、大野郡牛原(現福井県大野市)という所にいました。ほどなくして、六波羅が降参したと聞こえたので、相従う国の勢どもは、あっという間に落ち失せて、妻子従類のほかは誰もいなくなりました。やがて平泉寺(現福井県勝山市にある平泉寺白山神社)の衆徒([僧])は、この機会に、この地(牛原庄)を恩賞として賜わろうと、自国・他国の軍勢を味方に付けて、七千余騎を率して、五月十二日の白昼に牛原に押し寄せました。時治は敵の勢が雲霞の如く大勢であるのを見て、戦うともいくらも堪えることはできまいと思い、二十余人いる郎等([家来])に、向かう敵を防がせて、近くに僧がいたので呼び、女房幼い子どもまでも、皆髪に剃刀を当て、戒を受けさせて、一心に後生菩提([来世に極楽に生まれ変わること])の勤行を、涙ながらに行いました。


続く


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by santalab | 2015-11-30 18:52 | 太平記 | Comments(0)

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