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「太平記」越中守護自害の事付怨霊の事(その1)

越中ゑつちゆうの守護名越なごや遠江とほたふみかみ時有ときあり・舎弟修理しゆりすけ有公ありとも・甥の兵庫ひやうごの助貞持さだもち三人は、出羽・越後の宮方北陸道ほくろくだうを経て京都へ攻め上るべしと聞こへしかば、道にてこれを支へんとて、越中の二塚ふたつづかと云ふ所に陣を取つて、近国の勢どもをぞ相催あひもよほしける。斯かるところに、六波羅すでに被責落て後、東国にもいくさ起こつて、すでに鎌倉へ寄せけるなんど、様々に聞こへければ、催促に従ひて、ただ今まで馳せ集まりつる能登・越中のつはものども、放生津はうじやうづに引き退いてかへつて守護の陣へ押し寄せんとぞくはたてける。これを見て、今まで身に代はり命に代はらんと、義を存じ忠を致しつる郎従らうじゆうも、時の間に落ち失せて、あまつさへ敵軍にくははり、あしたに来たり暮れに往きて、交はりを結び情けを深うせし朋友ほういうも、たちまちに心変じて、却つて害心を挿し挟む。今は残り留まりたる者とては、三族に不遁一家いつけともがら重恩ぢゆうおんかうむりし譜代の侍、わづかに七十九人しちじふくにんなり。




越中守護名越遠江守時有(北条時有)・弟の修理亮有公(北条有公)・甥の兵庫助貞持(北条貞持。ただし貞持は、時有・有公の甥ではないらしい)三人は、出羽・越後の宮方が北陸道を経て京都へ攻め上ると聞こえたので、道中でこれを防ぐために、越中の二塚城(現富山県高岡市二塚)という所に陣を取って、近国の勢どもを集めました。そうこうするところに、六波羅はすでに攻め落とされて、東国にも軍が起こり、すでに鎌倉へ寄せるなどと、様々に聞こえたので、催促に従って、ただ今まで馳せ集まっていた能登・越中の兵どもは、放生津(現富山県射水市)に引き退いて反対に守護(北条時有)の陣へ押し寄せようと企てました。これを見て、今まで身に代わり命に代わろうと、義を存じ忠を致していた郎従([家来])も、あっという間に落ち失せて、その上敵軍に加わり、朝に来て暮れに帰る、交わりを結び情け深かった朋友([友人])も、たちまちに心変わりして、かえって害心を挿し挟むようになりました。今は残り留まる者は、三族([父方の一族、母方の一族、妻 の一族。または、父・子・孫、父母・兄弟・妻子])の一家の輩、重恩を蒙むる譜代の侍、わずかに七十九人でした。


続く


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by santalab | 2015-12-02 08:29 | 太平記 | Comments(0)

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