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「太平記」足利殿打越大江山事(その1)

追手おふての合戦は、今朝こんてう辰の刻より始まつて、馬煙むまけぶり東西に靡き、鬨の声天地を響かして攻め合ひけれども、搦め手の大将足利殿は、桂川かつらがはの西のはたに下り居て、酒盛りしてぞおはしける。かくて数刻すこくを経て後、大手の合戦に寄せ手打ち負けて、大将すでに被討ぬと告げたりければ、足利殿、「さらばいざや山を越えん」とて、各々馬に打ち乗つて、山崎の方を遥かの余所に見捨てて、丹波路たんばぢを西へ、篠村しのむらを指して馬を早められけり。ここに備前の国の住人ぢゆうにん中吉なかぎりの十郎と、摂津の国の住人に奴可ぬかの四郎とは、両陣の手合はせに依つて搦め手の勢の中にありけるが、中吉の十郎大江山おいのやまの麓にて、道より上手うはてに馬を打ち上げて、奴可四郎を呼び退けて云ひけるは、「心得ぬやうかな、大手の合戦は火を散らして、今朝の辰の刻より始まりたれば、搦め手は芝居しばゐの長酒盛りにてさて止みぬ。結句けつく名越なごや殿被討給ひぬと聞こへぬれば、丹波路たんばぢを指して馬を早め給ふは、この人いかさま野心を挿し挟み給ふかと思ゆるぞ。さらんに於いては、我らいづくまでか可相従。いざやこれより引つかへして、六波羅殿にこの由をまうさん」と云ひければ、




追手([大手])の合戦は、今朝の辰の刻([午前四時頃])より始まって、馬煙は東西に靡き、鬨の声は天地を響かして攻め合ている頃、搦め手の大将足利殿(足利高氏)は、桂川(京都市西部を流れ、淀川に注ぐ川)の西の端に下りて、酒盛りしていました。こうして数刻を過ごし、大手の合戦に寄せ手は打ち負けて、大将(北条高家たかいへ)がすでに討たれたと告げ知らせると、足利殿は、「さあ山を越えるぞ」と申して、各々馬に打ち乗って、山崎(現京都府乙訓郡大山崎町)の方を遥か遠くに見捨てて、丹波路を西へ、篠村(現京都府亀岡市にある篠村八幡宮)を指して馬を早めました。ここに備前国の住人中吉十郎と、摂津国の住人奴可四郎は、両陣の手合わせ(取り決め)により搦め手の勢の中にいましたが、中吉十郎は大江山(京都府丹後半島の付け根に位置し与謝郡与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山)の麓で、道より上方に馬を打ち上げて、奴可四郎を呼び止めて言うには、「おかしいとは思わぬか。大手の合戦は火を散らして、今朝の辰の刻より始まったが、搦め手は長酒盛りの芝居をしておっただけぞ。挙げ句の果てに名越殿(北条高家たかいへ)が討たれたと聞けば、丹波路を指して馬を早めるとは、この人(足利高氏)はどうやら野心を挿し挟んでおるのではないかと思うのだ。ならば、我らはどこまでも従うべきではない。さあここより引き返して、六波羅殿六波羅殿(北条仲時なかとき)にこのこと知らせよう」と言うと、


続く


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by santalab | 2015-12-04 07:26 | 太平記 | Comments(0)

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