佐々木の判官時信は一里ばかり引き下がりて、三百余騎にて打ちけるが、如何なる天魔波旬の仕業にてかありけん、「六波羅殿は番馬の当下にて、野伏どもに被取篭て一人も不残被討給ひたり」とぞ告げたりける。時信、「今は可為様なかりけり」と愛智川より引つ返し、降人に成つて京都へ上りにけり。越後の守仲時、しばしは時信を遅しと待ち給ひけるが、待つ期過ぎて時移りければ、さては時信も早や敵に成りにけり。今はいづくへか引つ返し、いづくまでか可落なれば、爽かに腹を切らんずるものをと、中々一途に心を取り定めて、気色涼しくぞ見へける。
佐々木判官時信(佐々木時信)は一里ばかり下がって、三百余騎にて馬を進めていましたが、如何なる天魔波旬([欲界最上位の第六天にいる天魔])の仕業か、「六波羅殿(北条仲時)は番馬の峠(現滋賀県米原市)で、野伏どもに取り囲まれて一人残らず討たれました」と知らせがありました。時信は、「今は進むべきにあらず」と愛智川(愛知川。現滋賀県東部を流れる川)より引き返し、降人となって京都に上りました。越後守仲時は、しばらく時信を遅しと待っていましたが、待つ時刻を過ぎてやって来ませんでした、さては時信も敵になったか。今はどこへにか引き返し、どこかへ落ち延びていることだろう、ここは潔く腹を切るべきと、きっぱりと覚悟を決めて、晴れ晴れとした表情でした。
(続く)