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「太平記」越後守仲時以下自害の事(その5)

佐々木の判官時信ときのぶは一里ばかり引き下がりて、三百余騎にて打ちけるが、如何なる天魔波旬てんまはじゆんの仕業にてかありけん、「六波羅殿は番馬の当下たうげにて、野伏のぶしどもに被取篭て一人も不残被討給ひたり」とぞ告げたりける。時信、「今は可為やうなかりけり」と愛智川えぢかはより引つ返し、降人かうにんに成つて京都へ上りにけり。越後の守仲時、しばしは時信を遅しと待ち給ひけるが、待つ期過ぎて時移りければ、さては時信も早や敵に成りにけり。今はいづくへか引つ返し、いづくまでか可落なれば、さわやかに腹を切らんずるものをと、中々一途いちづに心を取り定めて、気色きしよく涼しくぞ見へける。




佐々木判官時信(佐々木時信)は一里ばかり下がって、三百余騎にて馬を進めていましたが、如何なる天魔波旬([欲界最上位の第六天にいる天魔])の仕業か、「六波羅殿(北条仲時なかとき)は番馬の峠(現滋賀県米原市)で、野伏どもに取り囲まれて一人残らず討たれました」と知らせがありました。時信は、「今は進むべきにあらず」と愛智川(愛知川。現滋賀県東部を流れる川)より引き返し、降人となって京都に上りました。越後守仲時は、しばらく時信を遅しと待っていましたが、待つ時刻を過ぎてやって来ませんでした、さては時信も敵になったか。今はどこへにか引き返し、どこかへ落ち延びていることだろう、ここは潔く腹を切るべきと、きっぱりと覚悟を決めて、晴れ晴れとした表情でした。


続く


by santalab | 2015-12-06 08:53 | 太平記

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