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「太平記」主上・上皇為五宮被囚給事付資名出家の事(その1)

さるほどに五の宮の官軍くわんぐんども、主上しゆしやう上皇しやうくわうを取りまゐらせてその日先づ長光寺へ入れ奉り、三種さんじゆ神器じんぎ並びに玄象げんじやう下濃すそご・二間の御本尊に至るまで、みづから五の宮の御方へぞ被渡ける。秦の子嬰しえい漢祖の為に被亡て天子の璽符しふを首に懸け、白馬素車そしやに乗つて、しだうかたはらに至り給ひし亡秦ばうしんの時に不異。日野の大納言資名すけなきやうは、殊更当今たうぎん奉公の寵臣ちようしんなり。しかば、如何なる憂き目をか見んずらんとて、身を危ぶんで被思ければ、その辺の辻堂に遊行ゆぎやうの聖のありける処へおはして、可出家由をのたまひければ、聖やがて戒師と成つて、無是非髪を剃り落とさんとしけるを、資名の卿聖に向かつて、「出家の時は、何とやらん四句のを唱ふる事のありげに候ふものを」と被仰ければ、この聖その文をや知らざりけん、「汝是畜生発菩提心によぜちくしやうほつぼだいしん」とぞ唱へたりける。三河みかはかみ友俊ともとしも同じくここにて出家せんとて、すでに髪を洗ひけるが、これを聞いて、「命のしさに出家すればとて、なんぢはこれ畜生ちくしやうなりと唱へ給ふ事の悲しさよ」と、笑壺ゑつぼに入つてぞ笑はれける。




やがて五の宮(守良もりよし親王。第九十代亀山天皇の皇子)の官軍たちは、主上(北朝初代、光厳くわうごん天皇)・上皇(第九十三代後伏見院、第九十五代花園院)を捕らえてその日はまず長光寺(現神奈川県横浜市栄区にある寺)に入れられて、三種の神器ならびに玄象([琵琶])・下濃・二間の本尊(二間は清涼殿内にある部屋)にいたるまで、主上自ら五の宮(守良親王)に渡されました。秦の子嬰([秦の最後の王])が漢祖(劉邦)のに亡ぼされて天子の璽符([印璽])を首にかけ、白馬素車([葬儀に用いられた車馬])に乗って、し道(長安の東郊外)に至り劉邦に降伏した亡秦の時に異なりませんでした。日野大納言資名卿(日野資名)は、とりわけて当今(光厳天皇)の寵臣でした。ですから、どのような憂き目を見ることだろうかと、その身を危ぶんで、その辺の辻堂([道ばたに建っている仏堂])に遊行([僧などが布教や修行のために諸国を巡り歩くこと])の聖がいたので訪ねて、出家したいと申しました、聖はすぐに戒師([出家を望む者などに、戒を授ける法師])となって、たちまち髪を剃り落とそうとしたので、資名卿は聖に向かって、「出家の時は、なにやら四句の偈([法文])を唱えると聞いておるが」と申せば、聖は文を知らなかったのか、「お主は畜生のくせに一人前に菩提心([悟りを求めようとする心])を得ようとするのか」と唱えました。三河守友俊(藤原友俊)は同じくここで出家しようと、すでに髪を洗い終えていましたが、これを聞いて、「命を惜しんで出家するは仕方ないが、お前は畜生だと唱えられるのは悲しいことよ」と、思わずにが笑いせずにはいられませんでした。


続く


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by santalab | 2015-12-08 07:44 | 太平記 | Comments(0)

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