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「太平記」義詮朝臣御政務事

貞和六年二月二十七にじふしち日に改元あつて、観応くわんおうに移る。去年八月十四日に、武蔵のかみ師直もろなほ越後ゑちごの守師泰もろやすら、将軍の御屋形を打ち囲みて、上杉伊豆いづの守・畠山大蔵おほくら少輔せうを攻め出だし、配所にて死罪に行ひたりし後、左兵衛さひやうゑかみ直義ただよしきやう出家して、隠遁のていになり給ひしかば、将軍の嫡男宰相さいしやう中将ちゆうじやう義詮よしのり、同じき十月二十三日鎌倉より上洛しやうらくあつて、天下の政道を執り行ひ給ふ。しかれども万事ただ師直・師泰が計らひにてありしかば、高家の人々の権勢あたかも哀公あいこう季桓子きくわんしを振るひ、唐の玄宗に楊国忠やうこくちゆうが驕りをきはめしに異ならず。




貞和六年(1350)二月二十七日に改元があって、観応となりました。去年八月十四日に、武蔵守師直(高師直)・越後守師泰(高師泰)らが、将軍(足利尊氏)の館を打ち囲み、上杉伊豆守(上杉重能しげよし)・畠山大蔵少輔(畠山直宗ただむね)を攻め出し、配所で死罪にした後、左兵衛督直義卿(足利直義。足利尊氏の弟)は出家して、隠遁の体となりました、将軍の嫡男宰相中将義詮(足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)が、同じ貞和六年十月二十三日鎌倉より上洛して、天下の政道を執り行いました。けれども万事はただ師直・師泰が計らっていましたので、高家の人々の権勢はあたかも魯の哀公(魯の第二十七代君主。正しくは第二十六代定公)の時代に季桓子が威を振るい(斉の国人が、魯に送った美人の歌舞団にうつつを抜かしたらしい)、唐の玄宗(唐の第九代皇帝)に楊国忠(楊貴妃の又従兄)が驕りを極めたのと同じでした。


続く


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by santalab | 2015-12-08 20:31 | 太平記 | Comments(0)

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