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「太平記 」千葉屋城寄手敗北の事(その1)

さるほどに昨日きのふの夜、六波羅すでに被責落て、主上しゆしやう上皇しやうくわう関東くわんとうへ落ちさせ給ひぬと、翌日の午の刻に、千葉屋ちはやへ聞こへたりければ、城中には悦び勇んで、ただの中の鳥の、出でて林に遊ぶ悦びをなし、寄せ手はにへに赴く羊の、被駆てべうに近付く思ひを成す。何様一日も遅く引かば、野伏いよいよ勢重なりて、山中の路可難儀とて、十日の早旦に、千葉屋ちはやの寄せ手十万じふまん余騎、南都の方へと引いて行く。さきには兼ねて野伏満ち満ちたり。跡よりはまた敵急に追つ懸かる。すべて大勢の引き立つたる時の癖なれば、弓矢を取り捨てて、親子しんし兄弟を離れて、我先にと逃げふためきけるほどに、あるひは道もなき岩石のきはに行き詰まりて腹を切り、あるひは数千丈すせんぢやう深き谷の底へ落ち入つて、骨を微塵みぢんに打ち砕く者、幾千万と云ふ数を不知。




やがて昨日の夜、六波羅はすでに攻め落とされて、主上(北朝初代光厳くわうごん天皇)・上皇(第九十三代後伏見院、第九十五代花園院)は皆関東に落ちられたと、翌日の午の刻([午前十二時頃])に、千葉屋(現大阪府南河内郡千早赤阪村にあった千早城)に聞こえたので、城中ではよろこんで、まるで籠の中の鳥が、籠から出て林に遊ぶようによろこび、寄せ手(鎌倉幕府軍)は生贄となる羊が、追われて廟([神廟])に近付くような思いでした。一日遅く引き退けば、野伏([山野に隠れて、追いはぎや強盗などを働いた武装農民集団])がますます大勢となって、山中の路を通るのにも難儀すると、十日の朝早く、千葉屋(千早)の寄せ手十万騎馬余りは、南都(奈良)の方へと引き退いて行きました。すでに野伏は満ち満ちていました。後ろからは敵が急ぎ追っかけて来ました。大勢で引き退いたので、弓矢を捨て、親子兄弟と離れて、我先にと逃げふためいて、ある者は未知もない岩石に行き詰まって腹を切り、ある者は数千丈もある深い谷のそこに落ちて、骨を微塵に打ち砕き、幾千万という数を知りませんでした。


続く


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by santalab | 2015-12-10 08:46 | 太平記 | Comments(0)

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