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「太平記」六波羅攻の事(その2)

ここに六波羅の勢の中より年のほど五十ごじふばかりなる老武者の、黒糸の鎧に、五枚兜のを締めて、白栗毛しらくりげの馬に青総あをふさ懸けて乗つたるが、馬をしづしづと歩ませて、高声かうじやうに名乗りけるは、「その身雖愚蒙、多年奉行ぶぎやうの数に加はつて、末席をけがす家なれば、人は定めて筆取りなんどあなどつて、遭はぬ敵とぞ思ひ給ふらん。雖然我等が先祖をいへば、利仁としひとの将軍の氏族として、武略累葉ぶりやくるゐえふ家業かげふなり。今それがし十七代の末孫ばつそんに、斎藤伊予のばう玄基げんきと云ふ者なり。今日けふの合戦敵御方の安否なれば、命を何の為に可惜。死に残る人あらば、我が忠戦を語つて子孫に留むべし」と云ひ捨てて、互ひに馬を懸け合はせ、鎧の袖と袖とを引き違へて、むずと組んでどうど落つ。設楽しだらは力勝りなれば、うへに成つて斎藤が首を掻く。斎藤は心早き者なりければ、上げ様に設楽を三刀みかたな刺す。いづれもがうの者なりければ、死して後までも、互ひに引つ組つたる手を不放、共に刀を突き立てて、同じ枕にこそ臥したりけれ。




ここに六波羅の勢の中より年のほど五十ばかりなる老武者が、黒糸の鎧に、五枚兜([しころの板が五枚ある兜])の緒を締めて、白栗毛([栗毛の色が薄くて黄ばんで見えるもの])の馬に青総を懸けて乗っていましたが、馬を静かに歩ませて、大声で名乗るには、「その身は愚蒙([おろかで道理がわからないこと])といえども、多年奉行の数に加わって、末席を汚す家柄なれば、人は定めて筆取り([書記])などと小馬鹿にして、敵とも思っておらぬであろうな。とは申せ我らの先祖といえば、利仁将軍(藤原利仁)の氏族として、武略累葉([一族])を家業としておる。わしは十七代の末孫、斎藤伊予房玄基(斎藤玄基)という者だ。今日の合戦は敵味方の勝負の分かれ目なれば、命をどうして惜しむことがあろうや。死に残る人あらば、我が忠戦を語って子孫に伝えよ」と言い捨てて、互いに馬を駆け合わせ、鎧の袖と袖とを引き違えて、むずと組んで馬から落ちました。設楽は力勝りでしたので、上になって斎藤の首を掻きました。斎藤は心早い者でしたので、設楽を押し上げて設楽を三刀刺しました。いずれも剛の者でしたので、死んだ後までも、互いに引っ組んだ手を離さず、共に刀を突き立てて、同じ枕に臥しました。


続く


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by santalab | 2015-12-12 08:39 | 太平記 | Comments(0)

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