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「太平記」谷堂炎上事(その2)

かの谷のだうまうすは八幡殿の嫡男対馬のかみ義親よしちかが嫡孫、延朗えんらう上人造立ざうりふの霊地なり。この上人幼稚えうちの昔より、武略累代ぶりやくるゐだいの家を離れ、偏へに寂寞無人じやくまくむにんむろをとしめ給ひし後、戒定慧かいぢやうゑの三学を兼備して、六根清浄ろくこんしやうじやう功徳くどくを得給ひしかば、法華読誦の窓の前には、松尾まつのをの明神坐列ざれつして耳をかたぶけ、真言秘密のとぼそうちには、総角そうかく護法ごほふ手をつかねて奉仕ぶしし給ふ。かかる有智高行いうちかうぎやう上人しやうにん草創さうさうせられしみぎりなれば、五百余歳の星霜せいざうを経て、末世澆漓まつせげうりの今に至るまで、智水ちすゐ流れ清く、法燈ほつとう光明らかなり。三間四面の輪蔵りんざうには、転法輪てんほふりんさうへうして、七千余巻よくわん経論きやうろんをさめ奉られけり。奇樹怪石きじゆくわいせき池上ちじやうには、都卒の内院ないゐんを映して、四十九院しじふくゐんの楼閣を並ぶ。十二の欄干珠玉しゆぎよく天に捧げ、五重の塔婆たふば金銀つきを引く。あたか極楽浄土ごくらくじやうど七宝荘厳しちはうしやうごんの有様も、かくやと思ゆる許りなり。




かの谷ヶ堂(現京都市西京区にある最福寺延朗堂)と申すのは八幡殿(源義家よしいへ)の嫡男対馬守義親(源義親。義家の次男)の嫡孫である、延朗上人(源義実よしざね)造立の霊地でした。この上人は幼い頃より、武略累代の家を離れ、ひたすら寂寞無人([人もなくひっそりしていてさびしいこと])の庵室に入り、戒定慧([行動の規範である「戒」と,宗教的精神統一である「定」と,真理を知る「慧」])の三学([仏教修行者が修めるべき学習・修行の三種])を兼備して、六根清浄([六根=眼・耳・鼻・舌・身・意。から生じる迷いを断って、清らかな身になること])の功徳([現世・来世に幸福をもたらすもとになる 善行])を得たので、法華読誦の窓の前には、松尾明神(現京都市西京区にある松尾大社の祭神)が坐列して耳を傾け、真言秘密の扉の内には、総角髪([子どもの髪型])の護法皇子が見守りました([手を束ねる]=[傍観すること])。尊く有智高行(有智高才?生まれつき頭の働きがよく、 学習によって得た才能も優秀なさま)の上人が、草創された所ですれば、五百余歳の星霜([年月])を経て、末世澆漓([澆漓末世]=[人々の心が荒れ果てた末の世])の今に至るまで、智水([仏の智慧を、煩悩を 洗い流す水にたとえていう語])の流れは清く、法燈([釈迦の教えを闇を照らす灯火にたとえていう語])の光は明るく輝いていました。三間四面の輪蔵([仏教の寺院内等に設けられる経蔵の一])には、転法輪([仏の教法を説くこと])の様子が描かれて、七千余巻の経論([仏の教えを記した経と、経の注釈書である論])を納めていました。奇樹怪石の池上は、都卒([兜率天]=[欲界の六天の第四])の内院(弥勒菩薩が住むという)を映して、四十九院の楼閣を並んでいました。十二の欄干の珠玉が日の光の如く輝き、五重の金銀の塔婆はまるで月のようでした。極楽浄土の七宝荘厳([七宝荘厳とは? 七宝を用いて、仏像・仏堂を美しく飾ること])も、このようなものと思えるほどでした。


続く


by santalab | 2015-12-12 14:10 | 太平記

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