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「太平記」大森彦七事(その1)

暦応りやくおう五年の春の頃、自伊予国飛脚到来して、不思議の註進あり。その故をくはしたづぬれば、当国の住人ぢゆうにん大森彦七盛長もりながと云ふ者あり。その心飽くまで不敵にして、力世の常の人に勝れたり。まことに血気の勇者ようしやひつべし。去んぬる建武三年五月に、将軍自九州攻め上り給ひし時、新田義貞よしさだ兵庫ひやうごの湊河にて支へ合戦のありし時、この大森の一族ども、細川ほそかはきやうの律師定禅ぢやうぜんに随つて手痛く軍をし、楠木正成に腹を切らせし者なり。さればその勲功異他とて、数箇所すかしよ恩賞おんしやうを賜はりてんげり。この悦びに誇つて、一族ども、様々の遊宴いうえんを尽くし活計くわつけいしけるが、猿楽はこれ遐齢延年かれいえんねんの方なればとて、御堂みだうの庭に桟敷を打つて舞台をき、種々の風流を尽くさんとす。近隣の貴賎これを聞きて、群集くんじゆする事おびたたし。




暦応五年(1342)の春頃、伊予国より飛脚が到来して、不思議な註進([事件を記して急ぎ上申すること])がありました。その元を詳しく申すと、伊予国の住人に大森彦七盛長(大森盛長)という者がいました。心は飽くまで不敵にして、力は世の常の人に勝っていました。まこと血気盛んな勇者といえる者でした。さる建武三年(1336)五月に、将軍(室町幕府初代将軍、足利尊氏)が九州より攻め上った時、新田義貞は兵庫の湊川(兵庫県神戸市中央区)で支え合戦がありましたが、この大森の一族は、細川卿律師定禅(細川定禅)従い手痛く軍をして、楠木正成に腹を切らせた者でした。なればその勲功は格別だと、数箇所の恩賞を賜りました。このよろこびに誇り、一族どもは、様々の遊宴を尽くし活計([豊かな暮らし])をしていましたが、猿楽([平安時代に成立した日本の伝統芸能])は遐齢延年(齢を延ぶる)と、御堂の庭に桟敷を打って舞台を造り、種々の風流を尽くそうとしました。近隣の貴賎はこれを聞いて、群れ集いました。


続く


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by santalab | 2015-12-14 12:04 | 太平記 | Comments(0)

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