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「太平記」大森彦七事(その2)

彦七もその猿楽のしゆなりければ、様々の装束しやうぞくども下人に持たせて楽屋へ行きけるが、山頬やまぎはの細道を直様すぐさまに通るに、年の程十七八許りなる女房の、赤き袴に柳裏の五つ衣着て、びん深くぎたるが、指し出でたる山の端の月に映じて、ただ独り佇みたり。彦七これを見て、不覚、斯かる田舎ゐなかなどに加様かやうの女房のあるべしとは。いづくよりか来たるらん、またいかなる桟敷へか行くらんと見居たれば、この女房彦七に立ち向かひて、「路芝の露払ふべき人もなし。可行方をも誰に問はまし」とて打ちしほれたる有様、いかなる荒夷あらえびすなりとも、心を不懸云ふ事非じと思えければ、彦七怪しんで、いかなる宿の妻にてかあるらんに、善悪あやめも不知わざはいかがと乍思、無云量わりなき姿に引かれて心ならず、「こなたこそ道にて候へ。御桟敷など候はずば、たまたま用意の桟敷候ふ。御入り候へかし」と云ひければ、女ちと打ち笑うて、「うれしや候ふ。さらば御桟敷へ参り候はん」と云ひて、跡に付きてぞ歩みける。




彦七(大森盛長もりなが)もその猿楽の衆の一人でしたので、様々の装束を下人に持たせて楽屋へ向かいましたが、山際の細道を通っていた時、年のほど十七八ばかりの女房が、赤い袴に柳裏([淡い黄緑色])の五つ衣([女房装束で、表衣うはぎひとえとの間に5五枚のうちきを重ねて着ること])を着て、鬢を深く削いで([鬢削ぎ]=[市松人形の髪型。おかっぱ])、差し出でた山の端の月を眺めて、ただ独り佇んでいました。彦七(盛長)は女を見て、思わず、これほどの田舎にこんな女房がおるとは。どこから来たのか、どこの桟敷へ行こうとしておるのかと目を離さずにいると、この女房が彦七に向かって、「路芝の露を払う人もおりません。道に迷い困っております」と申す姿は悲しげでした、どれほどの荒夷([勇猛な東国武士])でさえも、同情しない者はいないように思えました、彦七は怪しみながらも、どこかの宿の妻であるやも知れぬ、情けを懸けて後の禍いとなるやも知れぬと思いながらも、すっかりうち萎れた姿に放ってはおけず、「道はこちらです。桟敷のあてがないのでしたら、たまたま用意しております桟敷があります。そちらにお出でなさい」と言いました、女はわずかに微笑んで、「助かります。ならば桟敷に参りましょう」と答えて、彦七(盛長)の後を付いて歩きました。


続く


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by santalab | 2015-12-15 07:14 | 太平記 | Comments(0)

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