Santa Lab's Blog


「太平記」六波羅攻の事(その7)

東寺・西八条・針・唐橋に控へたる、六波羅のつはもの一万余騎、木戸口の合戦強しと騒いで、皆一手に成り、東寺の東門の脇より、湿雲しふうんの雨を帯びて、暮山ぼざんを出でたるが如く、ましくらに打つて出でたり。妻鹿めがも武部もすはや被討ぬと見へければ、佐用さよ兵庫ひやうごの助・得平の源太・別所六郎左衛門ろくらうざゑもん・同じき五郎左衛門相懸あひがかりに懸かりて面も不振戦ふたり。「あれ討たすな殿ばら」とて、赤松入道円心ゑんしん、嫡子信濃のかみ範資のりすけ・次男筑前の守貞範さだのり・三男律師則祐そくいう・真島・上月かうづき菅家くわんけ・衣笠の兵三千余騎抜き連れてぞ懸かりける。




東寺(現京都市南区にある教王護国寺)・西八条(現京都市下京区)・針・唐橋(現京都市南区)に控えた、六波羅の兵一万余騎が、木戸口の合戦が激しいと騒いで、皆一手になり、東寺の東門の脇より、湿雲の雨を帯びて、暮山を出た月の如く、ましくら([激しい勢いで進んで行くさま])に打って出ました。妻鹿も武部もすでに討たれたと思い、佐用兵庫助(佐用範家のりいへ)・得平源太・別所六郎左衛門・同じく五郎左衛門がともに駆けて面も振らず懸命に戦いました。「あれを討たすな殿ども」と申して、赤松入道円心(赤松則村のりむら)は、嫡子信濃守範資(赤松範資)・次男筑前守貞範(赤松貞範)・三男律師則祐・真島・上月・菅家・衣笠の兵三千余騎を引き連れて懸かりました。


続く


[PR]
by santalab | 2015-12-17 07:21 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」大森彦七事(その7)      「太平記」仁木京兆降参事 >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
返歌 草枕…に因んで短歌..
by 井上勇 at 23:54
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧