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「太平記」大森彦七事(その8)

その時正成庭前ていぜんなるまりの懸かりの柳の梢に、近々とがつてまうしけるは、「正成が相伴あひともなふ人々には、先づ後醍醐の天皇てんわう兵部卿ひやうぶきやう親王しんわう・新田左中将さちゆうじやう義貞・平馬の助忠政ただまさ・九郎大夫判官義経よしつね・能登のかみ教経のりつね、正成を加へて七人なり。その外泛々はんはんともがら、数ふるに不遑」とぞ語りける。盛長重ねて申しけるは、「さてそもそも先帝はいづくに御座候ふぞ。また相随あひしたがひ奉る人々いかなる姿にておはしますぞ」と問へば、正成答へて云はく、「先朝せんてう元来ぐわんらい摩醯首羅王まけいしゆらわうの所変にておはすれば、今かへつて欲界の六天に御座あり。相順あひしたがひ奉る人々は、悉く脩羅しゆら眷属けんぞくと成つて、ある時は天帝と戦ひ、ある時は人間に下つて、瞋恚強盛しんいがうせいの人の心に入れ替はる」。「さて御辺はいかなる姿にておはしましぬる」と問へば、正成、「それがしも最期の悪念に被引て罪障ざいしやう深かりしかば、今千頭王鬼せんづわうきと成つて、七頭しちづの牛に乗れり。不審あらばその有様を見せん」とて、続松たいまつを十四五同時にはつと振り挙げたる、その光に付いて虚空を遥かに見上げたれば、一叢立ひとむらだつたる雲の中に、十二人じふににんの鬼ども玉の御輿を舁き上げたり。




その時正成(楠木正成)は庭前の鞠の懸かり([蹴鞠をする場所。また、その四隅に植えてある桜 ・柳・かえで・松の四本の木])の柳の梢に、近々と降りて申すには、「正成と共におる人々は、まず後醍醐天皇(第九十六代、南朝初代天皇)・兵部卿親王(後醍醐天皇の皇子、護良もりよし親王)・新田左中将義貞(新田義貞)・平馬助忠政(平忠正。平清盛の叔父。保元の乱で崇徳院方に付いて、清盛によって斬られた)・九郎大夫判官義経(源義経)・能登守教経(平教経。清盛の甥)に、正成を加えて七人よ。その外申すに及ばぬ輩は、数えるに暇なし」と答えました。盛長が重ねて申すには、「さていったい先帝(後醍醐天皇)はどこにおられるや。また相従う人々はどのような姿をしておられるや」と訊ねると、正成が答えて申すには、「先朝(後醍醐天皇)は元は摩醯首羅王(大自在天。ヒンドゥー教におけるシヴァ神)の所変([変化])であられる、今は天に帰られて欲界の六天([他化自在天たけじざいてん。欲界の最上位])におられる。従う人々は、残らず修羅(阿修羅)の眷属([家来])となって、ある時は天帝(帝釈天。仏教の守護神の一)と戦い、ある時は人間に降って、瞋恚強盛([瞋恚=自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。が激しいこと])の人の心に入れ替わることもあるぞ」。「さて御辺はどのような姿をしておられる」と訊ねると、正成は、「わたしは最期の悪念に引かれて罪障深くあったので、今は千頭王鬼となって、七頭の牛に乗っておる。疑っておるのならばその姿を見せよう」と言って、松明を十四五同時にぱっと振り上げました、その光に虚空を遥かに見上げると、一叢立った雲の中に、十二人の鬼どもが玉の御輿を舁いていました。


続く


by santalab | 2015-12-17 09:14 | 太平記

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