その時正成庭前なる鞠の懸かりの柳の梢に、近々と降がつて申しけるは、「正成が相伴ふ人々には、先づ後醍醐の天皇・兵部卿親王・新田左中将義貞・平馬の助忠政・九郎大夫判官義経・能登の守教経、正成を加へて七人なり。その外泛々の輩、数ふるに不遑」とぞ語りける。盛長重ねて申しけるは、「さてそもそも先帝はいづくに御座候ふぞ。また相随ひ奉る人々いかなる姿にておはしますぞ」と問へば、正成答へて云はく、「先朝は元来摩醯首羅王の所変にておはすれば、今還つて欲界の六天に御座あり。相順ひ奉る人々は、悉く脩羅の眷属と成つて、ある時は天帝と戦ひ、ある時は人間に下つて、瞋恚強盛の人の心に入れ替はる」。「さて御辺はいかなる姿にておはしましぬる」と問へば、正成、「某も最期の悪念に被引て罪障深かりしかば、今千頭王鬼と成つて、七頭の牛に乗れり。不審あらばその有様を見せん」とて、続松を十四五同時にはつと振り挙げたる、その光に付いて虚空を遥かに見上げたれば、一叢立つたる雲の中に、十二人の鬼ども玉の御輿を舁き上げたり。
その時正成(楠木正成)は庭前の鞠の懸かり([蹴鞠をする場所。また、その四隅に植えてある桜 ・柳・楓・松の四本の木])の柳の梢に、近々と降りて申すには、「正成と共におる人々は、まず後醍醐天皇(第九十六代、南朝初代天皇)・兵部卿親王(後醍醐天皇の皇子、護良親王)・新田左中将義貞(新田義貞)・平馬助忠政(平忠正。平清盛の叔父。保元の乱で崇徳院方に付いて、清盛によって斬られた)・九郎大夫判官義経(源義経)・能登守教経(平教経。清盛の甥)に、正成を加えて七人よ。その外申すに及ばぬ輩は、数えるに暇なし」と答えました。盛長が重ねて申すには、「さていったい先帝(後醍醐天皇)はどこにおられるや。また相従う人々はどのような姿をしておられるや」と訊ねると、正成が答えて申すには、「先朝(後醍醐天皇)は元は摩醯首羅王(大自在天。ヒンドゥー教におけるシヴァ神)の所変([変化])であられる、今は天に帰られて欲界の六天([他化自在天。欲界の最上位])におられる。従う人々は、残らず修羅(阿修羅)の眷属([家来])となって、ある時は天帝(帝釈天。仏教の守護神の一)と戦い、ある時は人間に降って、瞋恚強盛([瞋恚=自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。が激しいこと])の人の心に入れ替わることもあるぞ」。「さて御辺はどのような姿をしておられる」と訊ねると、正成は、「わたしは最期の悪念に引かれて罪障深くあったので、今は千頭王鬼となって、七頭の牛に乗っておる。疑っておるのならばその姿を見せよう」と言って、松明を十四五同時にぱっと振り上げました、その光に虚空を遥かに見上げると、一叢立った雲の中に、十二人の鬼どもが玉の御輿を舁いていました。
(続く)