Santa Lab's Blog


「太平記」大森彦七事(その9)

その次には兵部卿ひやうぶきやう親王しんわう、八竜に車を懸けて扈従こしようし給ふ。新田左中将さちゆうじやう義貞は、三千余騎にて前陣に進み、九郎大夫判官義経は、混甲ひたかぶと数百騎すひやくきにて後陣ごぢんに支へらる。その迹に能登のかみ教経のりつね、三百余艘よさう兵船ひやうせんを雲の浪に推し浮かべ給へば、平馬の助忠政ただまさ、赤旗一流れ差し挙げて、これも後陣に控へたり。また虚空遥かに引き下がりて、楠木正成湊川にて合戦の時見しに少しも不違、紺地錦こんぢにしき鎧直垂よろひひたたれに黒糸の鎧よろひ着て、かしらの七つある牛にぞ乗りたりける。この外保元ほうげん平治に討たれし者ども、治承養和ぢしようやうわの争ひに滅びし源平両家りやうけともがら、この頃元弘建武けんむに亡びしつはものども、人に知られ名を顕はすほどの者は、皆甲胄かつちうを帯し弓箭ゆみやたづさへて、虚空十里じふり許りが間に無透間ぞ見へたりける。この有様、ただ盛長もりながが幻にのみ見へて、他人の目には見へざりけり。




次には兵部卿親王(後醍醐天皇の皇子、護良もりよし親王)が、八竜に車を繋げて扈従([貴人につき従うこと])していました。新田左中将義貞(新田義貞)は、三千余騎で前陣に進み、九郎大夫判官義経(源義経)は、直兜([全員が鎧兜で武装していること])数百騎で後陣に付いていました。その後に能登守教経(平教経)が、三百余艘の兵船を雲の浪に推し浮かべ、平馬助忠政(平忠正)は、赤旗(平氏の旗印)を一流れ差し上げて、これも後陣に控えていました。また虚空遥かに引き下がり、楠木正成は湊川(現兵庫県神戸市中央区)で合戦の時見たのと少しも違わず、紺地錦の鎧直垂([鎧の下に着る着物])に黒糸の鎧を着て、頭が七つある牛に乗っていました。この外保元(保元の乱(1156))平治(平治の乱(1159))で討たれた者ども、治承養和の争い(治承・寿永の乱(1180~1185))で亡んだ源平両家の輩、この頃元弘の乱建武の乱(延元の乱)で亡んだ兵ども、人に知られその名を顕わすほどの者は、皆甲胄を帯し弓矢を持ち、虚空十里ほどの間に隙間なく見えました。この有様、ただ盛長(大森盛長)ばかり見えて、他の人の目には見えませんでした。


続く


[PR]
by santalab | 2015-12-17 21:58 | 太平記 | Comments(0)

<< 「太平記」大森彦七事(その10)      「太平記」大森彦七事(その8) >>

Santa Lab's Blog
by santalab
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ただおし出づるままに の..
by SiNa at 21:40
「義経記」の御紹介記事を..
by Magohati38 at 02:04
すばらしいサイト おかげ..
by johsei1129 at 23:54
青き花咲く大地 気高き..
by 北朝鮮の水爆に十神山も激怒 at 02:50
全然現代語訳できてない
by あ at 02:04
 その島根県(旧出雲国東..
by 民俗学者 at 23:34
うーん、松島からまた仙台..
by 五十嵐洋(秋田県大館市) at 00:51
「下野の室の八嶋にて待て..
by 八島 守 at 12:03
ひょんな事から、このブロ..
by yoshy at 18:50
すみません、日本語の起源..
by 春日 at 21:17
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧