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「太平記」宮方京攻事(その1)

暫時ざんじの智謀事なりしかば、三条さんでう左兵衛さひやうゑかみ入道慧源ゑげんと吉野殿と御合体ごがつていあつて、慧源は大和の越智をちが許におはしければ、和田・楠木を始めとして大和・河内・和泉・紀伊の国の宮方ども、我も我もと三条殿さんでうどのに馳せまゐる。これのみならず、洛中辺土らくちゆうへんどの武士どもも、面々に参ると聞こへしかば、無二むに将軍しやうぐん方にて、楠木退治たいぢの為に、石河河原に向かひじやうを取つて居たりける畠山阿波あは将監しやうげん国清くにきよも、その勢千余騎にて馳せ参る。謳歌の説巷に満ちて、南方なんぱうの勢すでに京へ寄すると聞こへけれ。京都の警固にておはしける宰相さいしやう中将ちゆうじやう義詮よしのり朝臣より早馬を立て、備前の福岡ふくをかに、将軍九州下向の為とておはしけるところへ、急を告げられる事頻並しきなみなり。




暫時の智謀によって、三条左兵衛督入道慧源(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)は吉野殿(第九十七代、南朝第二代後村上天皇)に付いて、慧源は大和の越智([大和国南部の豪族])の許にいましたので、和田・楠木をはじめとして大和・河内・和泉・紀伊の国の宮方どもが、我も我もと三条殿(足利直義)の許に馳せ参りました。これのみならず、洛中辺土の武士どもも、面々に参ると聞こえたので、二心なき将軍方で、楠木退治のために、石川河原(現大阪府南河内郡)に向かい城([敵の城を攻めるため、それに対して構える城])を取っていた畠山阿波将監国清(畠山国清)までもが、その勢千余騎で馳せ参りました。謳歌の説([盛んに行われている説。評判])は巷に満ちて、南方の勢すでに京へ寄せると聞こえました。京都の警固であった宰相中将義詮朝臣(足利義詮。足利尊氏の嫡男)は早馬を立て、備前福岡に、将軍(足利尊氏)が九州下向のため留まるところへ、ひっきりなしに急を告げ知らせました。


続く


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by santalab | 2015-12-22 19:37 | 太平記 | Comments(0)

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