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「太平記」宮方京攻事(その3)

足利宰相さいしやう中将ちゆうじやう義詮よしあきらはその頃京都におはしけるが、八幡山やはたやま、比叡坂本に大敵を受けて、非可由断、着到ちやくたうを付けて勢を見よとて、正月八日より、日々に着到を付けられけり。初日は三万騎と記したりけるが、次の日は一万騎に減ず。翌日は三千騎になる。これはいかさま御方の軍勢敵になると思ゆるぞ。道々に関を据ゑよとて、淀・赤井・今路いまみち関山せきせんに関を据ゑたれば、関守どもに打ち連れて、我も我もと敵に馳せ付きけるほどに、同じき十二日の暮れほどには、御内・外様の御勢五百騎に足らずとぞ記したる。さるほどに十三じふさん日の夜より、桃井もものゐ山上に陣を取りぬと見へて、大篝おおかがりを焚けば、八幡山やはたやまにも合図あひづの篝を焚き続けたり。これを見て、仁木・細川以下宗との人々評定あつて、「合戦は始終の勝ちこそ肝要かんえうにて候へ。この小勢にてかの大敵に合わん事、千に一つも勝つ事を得難く思え候ふ。そのうへ将軍しやうぐんすでに西国さいこくより御上り候ふなれば、今は摂津の国辺にも着かせ給ひて候ふらん。ただ京都を事故なく御開き候ひて、将軍の御勢と一つになり、すなはち京都へ寄せられ候はば、などか思ふに合戦一度せでは候ふべき」と申されければ、




足利宰相中将義詮(足利義詮)はその頃京都にいましたが、八幡山(現滋賀県近江八幡市)、比叡坂本(現滋賀県大津市)に大敵を受けて、油断あるべからず、着到([着到状]=[軍勢催促を受け、あるいは自発的にはせ参じたことを記して提出する文書])を付けて勢を見よと、正月八日より、日々に着到を付けました。初日は三万騎と記しましたが、次の日は一万騎に減りました。翌日は三千騎でした。これはきっと味方の軍勢は敵になったと思われる。道々に関を据えよと、淀(現京都市伏見区)・赤井(現京都市左京区?)・今路(現京都市上京区)・関山(現京都市伏見区?)に関を据えると、関守どもに打ち連れて、我も我もと敵に馳せ付いたので、同じき十二日の暮れほどには、身内・外様の勢は五百騎に足らずと記されました。やがて十三日の夜より、桃井(桃井直常ただつね)は山上に陣を取ったと思えて、大篝を焚けば、八幡山でも合図の篝を焚き続けました。これを見て、仁木・細川以下の主な人々が評定して、「合戦は始終の勝ちこそ重要でございます。この小勢で大敵と戦えば、千に一つも勝つことはないと思われます。その上将軍(足利尊氏)はすでに西国より上られておられます、今は摂津国辺りにも着かれておりましょう。ただ京都を事故なく開かれて、将軍の勢と一つになり、たちまち京都に寄せれば、きっと思うままに合戦ができましょうぞ」と申しました、


続く


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by santalab | 2015-12-22 19:52 | 太平記 | Comments(0)

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