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「太平記」宮方京攻事(その4)

義詮よしあきら卿、「義は宜しきに従ふに如かず」とて、正月十五日早旦に、西国を差して落ち給へば、同じき日の午の刻に、桃井もものゐ都へ入り替はる。治承ぢしよういにしへ平家都を落ちたりしかども、木曽はなほ天台山に陣を取つて十一日まで都へ入らず。これまつたく入洛じゆらくを急がずにあらず、敵を欺かざる故なり。または軍勢の狼藉らうぜきを静めんためなりき。武略にちやうぜる人は、慎むところかやうにこそ固かるべし。今直常敵の落ちぬといへばとて、人に兵粮ひやうらうをも使はせず、馬にぬかをもかはせず、楚忽そこつに都へ入れ替はる事そのえう何事ぞや。敵もしいつはつて引き退き、かへつてまた寄せ来たる事あらば、直常打ち負けぬと言はぬ人こそなかりけれ。また桃井もものゐを引く者は、敵御方勝負を決すべきならば、いかでか敵を欺かざるべき。いまだ落ちぬ先にも入洛すべし。まして敵落ちなば、何しに少しも擬議ぎぎすべき。いかにも入洛を急ぎてこそ、日来の所存も達しぬべけれ。もし敵偽つて引き退き、またかへし寄する事あらば、京都にてかばねを晒したらん事何か苦しかるべき。また軍勢の狼藉は、入洛の遅速に依るべからず。そのうへ深き了簡もをはすらんと、まうやからも多かりけり。




義詮卿(足利義詮。足利尊氏の嫡男)は、「義に従うべき」と申して、正月十五日早旦に、西国を指して落ちて行くと、同じき日の午の刻([午前十二時頃])には、桃井(桃井直常ただつね)が入れ替わり都に入りました。治承の昔平家が都を落ちましたが、木曽(木曽義仲)はなおも天台山(比叡山)に陣を取って十一日間都に入りませんでした。これは入洛を急がなかったのではなく、敵に欺かぬためでした。また軍勢の狼藉を鎮めるためでした。武略に勝れた人は、慎むところをこのように固く守るものです。今直常が敵が落ちたと聞いて、人に兵粮も使わせず、馬に糠も与えず、軽はずみに都に入れ替わったのはどういうことでしょうか。敵がもし偽って引き退き、返って寄せ来ることあれば、直常は打ち負けたであろうと言わぬ人はいませんでした。また桃井に贔屓の者どもは、敵味方が勝負を決する時に、どうして敵を欺かぬことがあろう。いまだ落ちぬ前に入洛していたであろう。まして敵が落ちたならば、どうして擬議([躊躇])すべき。なんとしても入洛を急いで、日来の本懐を達するべき。もし敵が偽って引き退き、また返して寄せることあらば、京都に屍を晒すことは本望ではないか。また軍勢の狼藉は、入洛の遅速によるものではない。きっと深い了簡([思案])あってのことだと、申す一族も多くいました。


続く


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by santalab | 2015-12-22 19:52 | 太平記 | Comments(0)

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