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「太平記」正行参吉野事(その1)

安部野あべのの合戦は、霜月二十六日にじふろくにちの事なれば、渡辺の橋より堰き落とされて流るる兵五百余人、無甲斐命を楠木に被助て、川より被引上たれども、秋の霜肉を破り、暁の氷はだへに結んで、可生共不見けるを、楠木有情者なりければ、小袖を脱ぎ替へさせて身を暖め、薬を与へて疵を令療。如此四五日皆いたはりて、馬に乗る者には馬を引き、物の具失へる人には物の具を着せて、色代してぞ送りける。されば乍敵その情けを感ずる人は、今日より後心を通ぜん事を思ひ、その恩を報ぜんとする人は、やがてかの手にしよくして後、四条縄手しでうなはての合戦に討ち死にをぞしける。さても今年両度の合戦に、京勢きやうぜい無下に打ち負けて、畿内多く敵の為にをかし奪はる。遠国をんごくまた蜂起ほうきしぬと告げければ、将軍左兵衛さひやうゑかみ周章しうしやう、ただ熱湯ねつたうにて手を洗ふが如し。今は末々の源氏国々のもよほし勢なんどを向けては可叶共不覚とて、執事かうの武蔵のかみ師直もろなほ越後ゑちごの守師泰もろやす兄弟を両大将にて、四国・中国・東山とうせん・東海二十にじふ余箇国の勢をぞ被向ける。




安部野の合戦(住吉合戦。現大阪市阿倍野区・住吉区・天王寺区で行われたゲリラ戦)は、霜月([陰暦十一月])二十六日の事でしたので、渡辺橋(今は大阪市北区の堂島川にかかるが、当時の場所は不明)から落とされて流された兵五百人余りは、甲斐ない命を楠木(楠木正行まさつら正成まさしげの嫡男。南朝方)が助けて、川から引き上げられましたが、暁の氷が膚を覆って、命を繋ぐようには見えませんでした、楠木(正行)は情けある者でしたので、小袖を脱ぎ替えさせて身を暖め、薬を与えて傷を癒しました。こうして四五日療養させて、馬に乗る者には馬を与え、物の具([武具])を失った者には物の具を着せて、別れを告げて見送りました。こうして敵ながら情けを知った者たちは、今日より後は楠木(正行)に味方になろうと思い、その恩に報いようとする者は、やがて楠木(正行)の手に属し、四条縄手の合戦(現大阪府四条畷市)で討ち死にしました。それにしても今年両度の合戦で、京勢(南朝方)は散々に打ち負けて、畿内の多くが敵(北朝方)に奪われました。遠国がまた蜂起したと告げたので、将軍左兵衛督(足利尊氏)はあわて騒ぐ様は、熱湯に手を入れたようでした。今は末々の源氏国々の催し勢([寄せ集め])などを仕向けても敵わないだろうと、執事高武蔵守師直(高師直)、越後守師泰(高師泰)兄弟を両大将として、四国・中国・東山道・東海道二十余箇国の勢を差し向けました。


続く


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by santalab | 2015-12-23 10:15 | 太平記 | Comments(0)

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