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「太平記」正行参吉野事(その2)

軍勢の手分け事定まつて、いまだ一日も不過に、越後ゑちごかみ師泰もろやすは手勢三千余騎を卒して、十二月十四日の早旦に先づ淀に着く。これを聞きて馳せくははる人々には、武田の甲斐かひの守・逸見へんみ孫六入道・長井ながゐ丹後の入道にふだう厚東こうとう駿河の守・宇都宮三河みかはの入道・赤松信濃の守・小早川こばやかは備後の守、都合その勢二万余騎、淀・羽束師はつかし・赤井・大渡おほわたりの在家に居余つて、堂舎仏閣に満ち満ちたり。同じき二十五日武蔵の守手勢七千余騎を卒して八幡やはたに着く。この手に馳せ加はる人々には、細川阿波あは将監しやうげん清氏きようぢ仁木につき左京さきやう大夫だいぶ頼章よりあきら・今川五郎入道・武田の伊豆いづの守・かう刑部ぎやうぶ大輔たいふ・同じき播磨の守・南部遠江とほたふみの守・同じき次郎左衛門じらうざゑもんじよう・千葉の介・宇都宮遠江の入道・佐々木の佐渡の判官入道はうぐわんにふだう・同じき六角判官・同じき黒田判官・ちやう九郎左衛門くらうざゑもんの尉・松田備前の三郎・須々木すずき備中の守・宇津木平三・曽我左衛門・多田院ただのゐんの御家人、源氏二十三人にじふさんにん、外様の大名四百しひやく三十六人、都合その勢六万余騎、八幡・山崎・真木まき葛葉くずは・鹿島・神崎かんざき桜井さくらゐ水無瀬みなせに充満せり。




軍勢の手分けが決まって、まだ一日も過ぎないうちに、越後守師泰(高師泰)は手勢三千余騎を引き連れて、十二月十四日の早旦([早朝])にまず淀(現京都市伏見区)に着きました。これを聞いて馳せ加わる者たちは、武田甲斐守・逸見孫六入道・長井丹後入道・厚東駿河守・宇都宮三河入道・赤松信濃守・小早川備後守、都合その勢二万余騎は、淀・羽束師(現京都市伏見区羽束師)・赤井・大渡の在家にあふれて、堂舎仏閣に充満しました。同じ二十五日に武蔵守(高師直もろなほ。師直の兄弟)が手勢七千余騎を引き連れて八幡(現京都府八幡市)に着きました。この手に馳せ加わる者たちは、細川阿波将監清氏(細川清氏)・仁木左京大夫頼章(仁木頼章)・今川五郎入道(今川範国のりくに)・武田伊豆守・高刑部大輔・同じく播磨の守・南部遠江守(南部宗継むねつぐ)・同じく次郎左衛門尉・千葉介・宇都宮遠江入道(宇都宮宗泰むねやす)・佐々木佐渡判官入道(佐々木道誉だうよ)・同じく六角判官(六角時信ときのぶ=佐々木時信)・同じく黒田判官・長九郎左衛門尉・松田備前三郎・須々木備中守(須々木高行たかゆき)・宇津木平三・曽我左衛門・多田院の御家人、源氏二十三人、外様大名四百三十六人、都合その勢六万余騎が、八幡・山崎(現京都府乙訓郡大山崎町)・真木(現大阪府枚方市)・葛葉(現大阪府枚方市)・鹿島・神崎・桜井・水無瀬(現大阪府三島郡島本町水無瀬)に充満しました。


続く


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by santalab | 2015-12-23 10:23 | 太平記 | Comments(0)

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