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「太平記」仁木京兆参南方事付大神宮御託宣事(その2)

去るほどに仁木右京うきやうの大夫義長よしながは、三年が間大敵に取り巻かれて、伊勢の長野のじやうに籠もりたれば、知行の地もなく、兵粮ひやうらうとぼしくなるに付けて、頼み切つたる一族郎従漸々ぜんぜんに落ち失せて、わづかに三百余騎になりにけり。土岐右馬うまかみ氏光うぢみつ外山とやま・今峯、兄弟三人、始めは仁木にしよくして城に籠もりたりけるが、弟の外山・今峯は、たちまちにひるがへつて寄せ手にくははり、兄の右馬の頭は、なほ城に留まつて仁木が方にぞ居たりける。連枝れんしの間なれば、外山・今峯、いかにもして右馬の頭を助けばやと思ひて、密かに人を遣はし、「城のさのみ弱り候はぬ先に、急ぎ御降参候へ。将軍の御意も子細なく候へば、御本領なども相違あるまじきにて候ふ」と、まうし遣はしたりければ、右馬の頭使ひに向かつて、とかくの返事をばせで、その文を引つかへして、一首の歌を書きてぞ返しける。

連なりし 枝の木の葉の 散り散りに さそふ嵐の 音さへぞうき

外山・今峯はこの返事を見て、これほどに思ひ切つたる人なれば、語らふとも甲斐かひあるまじ。げにも連枝の兄弟散り散りになつて後、憂き世を秋の霜の下に朽ちなん名こそ悲しけれと、涙ぐみけるぞ哀れなる。




やがて仁木右京大夫義長(仁木義長)は、三年間大敵に取り巻かれて、伊勢の長野城に籠もっていましたので、知行地もなく、兵粮が乏しくなったので、頼み切っていた一族郎従([家来])は次々に落ち失せて、わずかに三百余騎になりました。土岐右馬頭氏光(土岐氏光。土岐頼遠よりとほの子)・外山(外山光明みつあき)・今峯(今峯光行みつゆき)、兄弟三人は、はじめは仁木(義長)に付いて城に籠もっていましたが、弟の外山(光明)・今峯(光行)は、たちまちに意を翻して寄せ手に加わり、兄の右馬頭(土岐氏光)は、なおも城に留まって仁木方に付いていました。連枝([身分の高い人の兄弟姉妹])でしたので、、外山(光明)・今峯(光行)は、どうにかして右馬頭を助けようと思い、密かに人を遣わして、つかはし、「城の守りがすっかり弱ってしまう前に、急ぎ降参されますよう。将軍(室町幕府第二代将軍、足利義詮よしあきら)も降人となれば罰しないと申しております、本領なども没収されることはないでしょう」と、申し遣わせば、右馬頭(土岐氏光)は使ひに向かって、返事をせず、その文に、一首の歌を書いて返しました。

こうして連枝が敵味方となった今、こうして誘ってくれることさえ恨みに思うておる。

外山(光明)・今峯(光行)はこの返事を見て、これほどに思い切った人ならば、勧め申したところで何ともならないであろう。まこと連枝の兄弟が散り散りになって、憂き世の秋の霜の下にその名が朽ちることこそ悲しいと、涙ぐみましたが哀れなことでした。


続く


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by santalab | 2015-12-24 09:00 | 太平記 | Comments(0)

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