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「太平記」仁木京兆参南方事付大神宮御託宣事(その3)

日に随ひて勢の落ち行く気色を見て、我が力にてはつひに敵ふべくとも思はじけるにや、義長よしなが密かに吉野殿へ使者を進じて、御方に参るべし由をぞまうし入れたりける。伝奏てんそう吉田の中納言宗房むねふさきやう、参内して事の由を奏聞されけるに、諸卿異儀多しといへども、義長御方に参りなば、伊賀・伊勢両国、官軍くわんぐんしよくするのみならず、伊勢の国司顕能あきよし卿のじやうも、心安くなりぬべしとて、すなはち勅免の綸旨をぞなされける。これをうけたまはりて、武者所にさうらひける者どもが囁き申しけるは、「近年源氏の氏族の中に、御方に参ずる人々を見るに、いづれも以詐君を欺き申さずと言ふ者なし。先づ錦小路にしきのこうぢ慧源ゑげん禅門は、相伝譜代の家人師直もろなほ師泰もろやすらが害を遁れん為に、御方に参りしかども、当方の力を仮つて、会稽くわいけいの恥をすすぎたりし後、一日もさらに天恩を重しとせず、その責め身に留りてつひに毒害せられにき。その後また宰相さいしやう中将ちゆうじやう義詮よしあきら朝臣あつそん、御方に参るべし由を申して、君臣御合体がつていの由なりしも、いつしか天下を君の御成敗に任せたりし堅約けんやくたちまちに破れて、義詮江州がうしうを指して落ちたりしは、そのいつはりの果たすところにあらずや。また右兵衛うひやうゑすけ直冬ただふゆ・石堂刑部卿頼房よりふさ・山名伊豆いづかみ時氏ときうぢらが、御方の由なるも、すべてまこととも思えず。




日に従い勢が落ち行く様を見て、我が力では敵うべしとも思えないと思ったか、義長(仁木義長)は密かに吉野殿(南朝第二代、後村上天皇)へ使者を遣わして、味方に参る旨を申し入れました。伝奏として吉田中納言宗房卿(吉田宗房)が、参内し事の次第を奏聞すると、諸卿に異儀が多くありましたが、義長が味方に参れば、伊賀・伊勢両国が、官軍に付くばかりでなく、伊勢国司顕能卿(北畠顕能)の城も、安心だということで、すなわち勅免の綸旨を下しました。これを承り、武者所に詰めていた者どもが囁き合うには、「近年源氏の氏族の中に、味方に参ずる人々を見れば、いずれも君を欺く者ばかりよ。まず錦小路慧源禅門(足利直義ただよし。足利尊氏の弟)は、相伝譜代の家人師直(高師直)・(高師泰。高師直の弟)らの害を遁れるために、味方に参ったが、当方の力を借りて、会稽の恥を雪いだ後は、一日たりとも天恩を重くせず、その責めにより遂に(足利尊氏により)毒害された。その後また宰相中将義詮朝臣(足利義詮。足利尊氏の嫡男で室町幕府第二代将軍)が、味方に参ると申して、君臣は一つになるはずであったが、いつしか天下を君の御成敗に任せる堅約はたちまち反故にされて、義詮が江州(近江国)を指して落ちたのは、つまり偽りであったということではないか。また右兵衛佐直冬(足利直冬。足利尊氏の子)・石堂刑部卿頼房(石塔頼房)・山名伊豆守時氏(山名時氏)らが、味方に付いたが、すべて本心からとも思えぬ。


続く


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by santalab | 2015-12-24 09:05 | 太平記 | Comments(0)

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