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「太平記」大地震並夏雪事(その2)

七月二十四日には、摂津の国難波の浦の沖数百町、半時ばかり干上がりて、無量の魚ども砂の上に息衝きけるほどに、あたりの浦の海人ども、網を巻き釣りを捨てて、我劣らじと拾ひけるところに、またにはかに大山の如くなるうしほ満ち来たつて、漫々まんまんたる海になりにければ、数百人すひやくにんの海人ども、一人も生きて帰るはなりけり。また阿波あはの鳴戸にはかに潮去つてくがとなる。高くそばたちたる岩の上に、筒のまはり二十ひろばかりなる太鼓の、銀のびやうを打つて、面にはともゑを描き、台には八竜を引こづらはせたるがあらはれ出でたり。しばしは見る人これを怖ぢて近付かず。三四日を経て後、近きあたりの浦人ども数百人すひやくにん集ひて見るに、筒は石にて面をば水牛の皮にてぞ張つたりける。世の常のばちにて打たば鳴らじとて、大きなる鐘木しゆもくこしらへて、大鐘おほがねを撞く様に撞きたりける。この太鼓天に響き地を動かして、三時ばかりぞ鳴つたりける。山くづれて谷に答へ、うしほ涌いて天にみなぎりければ、数百人の浦人ども、ただ今大地の底へ引き入れらるる心地して、肝魂きもたましひも身に添はず、倒るるともなく走るともなく四角八方はつぱうへぞ逃げ散りける。その後よりはいよいよ近付く人なかりければ、天にや上りけん、また海中へや入りけん、うしほは元の如く満ちて、太鼓は見えずなりにけり。




七月二十四日には、摂津国の難波浦(かつて大阪市上町台地の西側まで来ていた海域)の沖数百町(数10km)が、半時(一時間)ほど干上がって、無数の魚が砂の上に姿を現したので、あたりの浦の漁師たちは、網を巻き釣りを止めて、他人と争って魚を拾っていましたが、また突然大山のような高波が押し寄せて、漫々たる海になったので、数百人の漁師たちは、一人も生きて帰る者はいませんでした。また阿波の鳴門は急に潮が引いて陸になりました。高くそびえる岩の上に、筒の周囲二十尋(約30~36m)ほどの太鼓で、銀の鋲を打って、面には巴の印を描き、台には八竜をしたがえたものが出現しました。しばらくの間これを見る人はこれを恐れて近付きませんでした。三四日を経て後、近くの浦人数百人が集まって見ると、筒は石で面に水牛の皮を張ったものでした。この太鼓を撥で打てば鳴るだろうと、大きな鐘木([釣鐘をつく棒])を作って、大鐘を撞くように撞きました。この太鼓の音は天に響き地を動かして、三時(六時間)ほど鳴り続けました。山は崩れて谷を埋め、潮は立ち天に届くほどでしたので、数百人の浦人たちは、今にも大地の底に引き込まれるような気がして、肝魂を失って、倒れるともなく走るともなく四方八方に逃げ散りました。その後はまったく近付く人もありませんでしたが、天に上ったのか、または海中に沈んだのか、潮は元通り満ちて、太鼓は見えなくなりました。


続く


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by santalab | 2015-12-25 08:31 | 太平記 | Comments(0)

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