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「太平記」山名伊豆守落美作城事付菊池軍事(その3)

赤松は右衛門うゑもんすけ小勢なりと聞いて、先づこの敵を打ち散らさんと打ち立ちけるところに、阿保あふ肥前の入道にふだう信禅しんぜん、にはかに敵になつて但馬たぢまの国へ馳せ越え、ちやう九郎左衛門くらうざゑもんと引き合つて播磨へ打つて入らんとくはたてける間、赤松、「さらばひんがしの方に城郭じやうくわくを構へ、路々に警固の兵を置け」とて、法華山に城を構へ、大山越だいせんごえの道を切り塞いで、五箇所へ勢をぞ差し向けける。これによつて進んで山名に戦はんとするも勢少なく、退いて但馬へ向かはんとするも叶はず。進退歩みを失つて前後の敵に迷惑す。さらば中国の大将細河右馬のかみ頼旨よりむね、讃岐の国の守護を相論さうろんして、四国にをはするに触れ送つてその勢を呼びこし、備前・備中・備後、当国四箇国しかこくの勢を以つて、倉懸くらかけじやう後攻ごづめをせよとて、事の子細を牒送てふそうするに、右馬の頭大きに驚いて、九月十日備前へ押し渡りて後陣ごぢんの勢を待ちけるに、相従あひしたがふ四箇国のつはものども、おのが国々の私戦わたくしたたかひを捨て兼ねて、大将に属さず。備前・備中・備後三箇国の勢は、皆野心を含める者どもなれば、頼むべからずとて、大将唐河からかはに陣を取り、いたづらに月日をぞ送られける。




赤松(赤松貞範さだのり)は右衛門佐(山名師義もろよし。山名時氏ときうぢの嫡男)が小勢と聞いて、まずこの敵を打ち散らそうと打ち立つところでしたが、阿保肥前入道信禅(阿保忠実ただざね)が、にわかに敵になって但馬国へ馳せ越え、長九郎左衛門とともに播磨に打って入ろうとしていたので、赤松(貞範)は、「ならば東の方に城郭を構え、路々に警固の兵を置け」と申して、法華山(現兵庫県加西市にある一乗寺)に城を構え、大山越え(大山道。現島根県出雲市にある出雲大社に通じる道)の道を塞いで、五箇所へ勢を差し向けました。こうして進んで山名(時氏)と戦おうとする勢も少なくなり、退いて但馬に向かうこともできなくなりました。進退歩みを失って前後の敵と対峙することになりました。なれば中国の大将細河右馬頭頼旨(細川頼有よりあり。細川頼春よりはるの子)、讃岐国の守護に話しを付けて、四国にある者どもに触れ回りその勢を呼び寄せ、備前・備中・備後、当国四箇国の勢をもって、倉懸城(現岡山県赤磐市)の後詰め([敵の背後に回って攻めること])をさせよと、事の子細を牒送([牒状を送って知らせること])しました、右馬頭(細川頼有)はたいそう驚いて、九月十日に備前に押し渡り後陣の勢を待ちましたが、相従う四箇国の兵どもは、己の国々の私戦を放っておくわけにはいかず、大将(細川頼有)に従い付きませんでした。備前・備中・備後三箇国の勢は、皆野心を持った者どもでしたので、頼りにならないと、大将は唐川(現岡山県岡山市北区)に陣を取り、徒らに月日を送りました。


続く


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by santalab | 2015-12-25 19:10 | 太平記 | Comments(0)

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