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「太平記」山名伊豆守落美作城事付菊池軍事(その6)

宮方は対揚たいやうまでもなき小勢にて、しかも平場を陣に取りたりけれども、菊池が気分元より大敵を取りひしぐ心根なりければ敢へて事ともせざりけり。両陣のあはひわづかに二十余町よちやうを隔てたれば、数日すじつ互ひに馬の腹帯はるびを固め、鎧の高紐たかひぼを外さで、懸かりてや攻むる、待ちてや戦ふと、ひまを伺ひ気をためらいて、いたづらに両月をぞ送りける。菊池が家の子じやう越前ゑちぜんかみは、はかりことある者なりければ、山臥やまぶし・禅僧・遁世者とんせいしやなんどを、忍び忍びに松浦が陣へ遣はして、その陣の人々の中に、「たれがしは御方へ内通の事あり、なにがしは後ろ矢射て降参すべき由を申し候ふぞ。野心の者どもに心を置かで、犬死にし給ふな」なんど、様々にぞ申し遣はしける。これを聞いてさる事やあるべきと思ひながら、今時の人の心、またあるまじき事にてもなしと、互ひに心置き合ひて危ぶまぬ人もなかりけり。その後少し程経て、八月六日の暁、じやう越前ゑちぜんかみ千余騎の勢にて飯守いひもり山に押し寄せ、楯の板を叩いて鬨をどつと作る。




宮方(第九十六代後醍醐天皇の皇子、懐良かねよし親王)は対揚([匹敵])するまでもない小勢で、しかも平場を陣に取りましたが、菊池(菊池武光たけみつ)の気持ちは大敵を押し潰す勢いでしたのでまったく事ともしませんでした。両陣の間わずかに二十余町(約2km)を隔てるほどでしたので、数日の間互いに馬の腹帯([鞍を馬の背に取りつけるために馬の腹に締める帯])を固め、鎧の高紐([鎧の胴の綿上わたがみと胸板とをつなぐ紐])も外さず、懸かって攻めようか、待って戦うかと、隙を窺い迷いながら、徒らに両月を送りました。菊池(武光)の家の子城越前守(城武顕)は、智謀の者でしたので、山臥・禅僧・遁世者などを、忍び忍びに松浦の陣へ遣わせて、その陣の人々の中に、「誰それは味方のことを内通しておる、何某は後ろ矢を射て降参すると申しておるぞ。野心の者どもに打ち解けず、、犬死になさるな」などと、様々に申させました。これを聞いてそのような事があるかと思いながらも、今時の人の心、またないとも言えまいと、互いに打ち解けず不安に思わぬ人はいませんでした。その後少し経って、八月六日の暁に、城越前守は千余騎の勢にて飯守山(飯盛山。現福岡県福岡市西区)に押し寄せ、楯の板を叩いて鬨をどっと作りました。


続く


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by santalab | 2015-12-26 07:12 | 太平記 | Comments(0)

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