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「太平記」秀詮兄弟討死事(その2)

和田にぎた・楠木これを聞きて、よき時分なりと思ひければ、五百余騎を卒して、渡辺の橋を打ち渡り、天神の森に陣を取る。佐渡の判官はうぐわん入道にふだう道誉だうよが嫡孫、近江あふみの判官秀詮ひであきら・舎弟次郎左衛門じらうざゑもん、かねて在国したりければ、千余騎にて馳せ向かひ、神崎の橋を隔てて防ぎ戦はんと議しけるを、守護代吉田肥前房ひぜんばう厳覚げんかく、「何条なんでうさる事や候ふべき。近年赤松大夫の判官、当国の守護にてありながら、ややもすれば和田・楠木らに境内きやうないをかし奪はれんとする事、未練の至りなりとて、申し賜はらせ給ひける守護職にて候ふに、敵の国を退治たいぢするまでこそなからめ、当国に打ち越えたる敵を、一人も生けて返したらんは、赤松に笑はれるのみにあらず、京都の聞こへもしかるべからず。厳覚命をかろんずるほどならば、一族他門のつはものども、誰か見放つ者候ふべき。恩賞欲しくは続けや人々」と、広言くわうげん吐いて、厳覚真つ先に神崎の橋を打ち渡れば、後陣ごぢんの勢一千余騎も、続いて川を越したりける。




和田(和田正武まさたけ)・楠木(楠木正儀まさのり。楠木正成の三男)はこれを聞いて、攻めるに都合がよい機会と思い、五百騎余りを引き連れて、渡辺橋(現大阪市中央区にあった渡辺津=旧淀川左岸の河口近くに存在していた港湾。にかかっていた橋。今の渡辺橋とは異なる場所にあった)を渡って、天神の森(現大阪市北区天神橋にある大阪天満宮にあった森)に陣を取りました。佐渡判官入道道誉(佐々木道誉)の嫡孫、近江判官秀詮(京極秀詮)・弟次郎左衛門(京極氏詮うぢあきら)は、摂津国にいたので、千騎余りで馳せ向かい、神崎橋(現大阪府・兵庫県境を流れる神崎川にかかる橋)を隔てて防ぎ戦おうかと話し合っていましたが、守護代吉田肥前房厳覚(吉田秀長ひでなが)は、「どうして話し合う必要があるのだ。近年赤松大夫判官(赤松光範)が、当国(摂津国)の守護であるが、ややもすれば和田(正武)・楠木(正儀)たちが境内に立ち入って奪おうとしておる、とても無念なことである、せっかく賜った主護職ではないか、敵国を退治するまでのことはないにしろ、当国に越えた敵を、一人でも生かして返したならば、赤松(光範)に笑われるばかりでなく、京都の評判も悪かろう。わし厳覚は命を軽んじる者なれば、一族他門の兵どもの、誰が放っておこう。恩賞([褒美])が欲しければわしに続け者ども」と、広言([無責任に大きなことを言い散らすこと])を言い放って、厳覚を先頭に神崎橋を渡れば、後陣の勢一千騎余りも、続いて川を越えました。


続く


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by santalab | 2015-12-26 08:29 | 太平記 | Comments(0)

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