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「太平記」清氏反逆事付相摸守子息元服事(その7)

その後よりは、とやして清氏きようぢを討たまし、かくやせましと、道誉だうよ一人に談合だんかふあつて、案じわづらひ給ひけるところに、道誉にはかに病ひと称して湯治の為湯山ゆのやまへ下りぬ。その後四五日あつて、相摸のかみ普請ふしんの為とて、天竜寺てんりゆうじへ参りけるが、例ならず庭に入つて物の具したるつはものども、三百余騎召し具したり。将軍これを聞き給ひて、「さては道誉に評定ひやうぢやうせし事、早や清氏に聞こへてけり。さらんに於いてはかへついかさま寄せぬと思ゆるぞ。京中きやうぢゆうの戦は小勢にて敵ふまじ。要害えうがいに籠もつて防ぐべし」とて九月二十一日の夜半ばかりに、今熊野に引き籠もり、一の橋引き落として、所々掻楯かいたて掻き車引き並べて、逆茂木轅門ゑんもんを固めて待ち懸け給へば、今川上総かづさかみ・宇都宮三河みかは入道にふだう以下、我も我もと馳せ参る。にはかの事なれば、何事のひしめきと、聞き定めたる事はなけれども、武士東西に馳せ違ひ、貴賎四方しはうに逃げ彷徨ふ。




その後は、どのようにして清氏(細川清氏)を討とう、こうすべきと、道誉(佐々木道誉)一人ばかりと談合して、思いあぐねているところに、道誉はにわかに病いと申して湯治のために湯山(現兵庫県川西市?)に下りました。その後四五日あって、相摸守(細川清氏)は普請のために、天龍寺(現京都市右京区にある寺院)に参りましたが、いつもと違い物の具([武具])に身を固めた兵ども、三百余騎を連れて庭に入りました。将軍(室町幕府第二代将軍、足利義詮よしあきら。足利尊氏の嫡男)はこれを聞いて、「さては道誉と評定していることが、清氏に知られたか。であればきっと攻めて来るに違いない。京中での戦は小勢では敵うまい。要害に籠もって防ぐことにしよう」と九月二十一日の夜半ばかりに、今熊野(現京都市東山区にある今熊野観音寺)に引き籠もり、一の橋を引き落として、所々に掻楯([垣根のように楯を立て並べること])掻き車を引き並べて、逆茂木([敵の侵入を防ぐために、先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べ、結び合わせた柵])で轅門([軍門])を固めて待ち構えると、今川上総守(今川範国のりくに。上総介)・宇都宮三河入道以下、我も我もと馳せ参りました。にわかの事でしたので、何事の騒ぎかと、確かなことは知れないまま、武士は東西に馳せ違い、貴賎の者は四方に逃げ彷徨いました。


続く


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by santalab | 2015-12-27 08:49 | 太平記 | Comments(0)

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