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「太平記」清氏反逆事付相摸守子息元服事(その9)

清氏きようぢこの上は陳じ申すに言葉なし。今は定めて討つ手をぞ向けらるらん。一矢射て腹を切らんとて、舎弟左馬の助頼利よりとし・大夫将監しやうげん家氏いへうぢ兵部ひやうぶ太輔たいふ将氏まさうぢ猶子いうし仁木中務なかつかさ少輔せう、従兄弟の兵部ひやうぶの少輔氏春うぢはる、六人中門にて武具ひしひしと固め、旗竿はたざを取り出だし、馬の腹帯はるびを固めさすれば、重恩、新参の郎従ども、ここかしこより馳せ参つて七百余騎になりにけり。今熊野には、始め五百余騎参して、「あはれ、我討つ手をうけたまはりて向かはばや」と義勢しける者ども、相摸のかみ七百余騎にて控へたりと聞こへしかば、興醒めがほになつて、ここの坊中ばうちゆうかしこの在家に引き入り、荒く物をも言はず、ただいづ方に落場おちばあると、山の方をぞ守りける。相摸の守は今や討つ手を賜はると、兜のを締め二日まで待たれけれども、向かふ敵なかりければ、洛中にて兵を集め、軍を致さんと用意したるも、かつうは狼籍らうぜきなり。陣を去り都を落ちてこそなほ陳じ申さめとて、二十三日の早旦に、若狭を指して落ちて行く。




清氏(細川清氏きようぢ)はこれ以上申し開く言葉もありませんでした。こうなった以上きっと討っ手を差し向けて来るであろう。一矢射て腹を切ろうと、舎弟左馬助頼利(細川頼和?)・大夫将監家氏(細川家氏)・兵部大輔将氏(細川将氏)・猶子仁木少輔(仁木国行?)、従兄弟の兵部少輔氏春(細川氏春)、六人は中門で武具をひしひしと固め、旗竿を取り出し、馬の腹帯([鞍を馬の背に取りつけるために馬の腹に締める帯])を固めると、重恩、新参の郎従([家来])どもも、ここかしこより馳せ参って七百余騎になりました。一方今熊野(現京都市東山区にある今熊野観音寺)では、はじめは五百余騎が集まって、「ああ、我が討っ手として向かいたいものよ」と義勢した者どもも、相摸守(細川清氏きようぢ)が七百余騎で控えていると聞いて、顔色を失い、ここの坊中かしこの在家に引き入り、大口は聞かず、ただどこを落ちて行くかと、山の方を見守るばかりでした。相摸守は今や討っ手が攻め来るかと、兜の緒を締め二日まで待ちましたが、向かう敵はなかったので、洛中で兵を集め、軍をしようと用意したのも、また狼籍である。陣を去り都を落ちて再び陳じ申そうと、二十三日の早旦に、若狭(現福井県西部)を指して落ちて行きました。


続く


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by santalab | 2015-12-27 08:58 | 太平記 | Comments(0)

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